大学は社会に出て恥ずかしくない社会性を学生に身につかせる場として、大学教師は学生に対してしつけや生活指導を行わなければいけないのであろうか。
私はそうは思わない。それよりは、大学教育で学生に教えなければならないことがある。それは、自由ということである。社会学者の浅野智彦氏が、「大学で出席をとることは学生が授業を欠席する自由を奪う」と言っていたが、それほど大学は自由な場である。自由を体験できる場は、人の一生で大学以外にはない。
学生時代に、授業に出ようが欠席しようが、寝ていようがテレビや映画を観ようが、自分の判断で決めればいいことで、そのことで咎められる必要はない。
大学教師にはいろいろな人がいて、その教師の要求に答えなければ単位はもらえない。その多様な要求に答え単位を習得する処世術を学ぶのも大学である。
出席に厳しい教員もいればそうでない教員もいる。私語、スマホに激怒する教員もいれば許容的な教員もいる。それを見極め対処する術が、社会に出た時に役立つ。杓子定規な道徳心の教育は、大学教育の目指すべきものではない、と思う。
日: 2016年11月14日
授業記録(11月8日)―「課外授業・藤原新也」を見る。
先週(11月8日)の「教職概論」の授業では、藤原新也が母校の小学校で15年前に行った課外授業のビデオを見てもらい、学生にその感想を書いてもらった(昨年も1つ上の学年に同じ授業を行っている(11月22日)。大学教員としては少し気が引ける。ただリアクションの内容は少し変え、説明も変えた)。藤原新也の授業は小学生に「嫌いなもの」の写真を各自撮ってきてもらいそれに言葉を付け、それに藤原がコメントし、皆で考えるという内容。(学生にも、好きなものと嫌いなもの写真を撮ったと考え、それを絵に書いてもらった)。
以下がその感想。
藤原新也の『課外授業』を見ての感想
・世界からみた視野・世界中を自分の目と足で見てきた藤原新也さんだからこそ、死を見つめ生を考えるという考え方ができるのだと思いました。・放浪の旅に出たい。
・学校の教師では思いつかない授業方法だと思った。・教師以外の授業は新鮮で、児童によい刺激になる。
・写真を撮って考えるということがとても深い。・写真を撮るとき眼を使い足で行って写真を撮らせ、写真に文章を付ける時は考えさせる。・写真を撮ることで五感を使う。感覚的に撮ったものを見つめ直す。・消えていくものを写真に撮りたいという藤原さんの考えは興味深い。なぜ藤原さんの写真は心に訴えるものが多いのだろうかと考えた。
・嫌いなものを嫌いで終わらせないところがすごい。・好きなものだけでなく嫌いなものに目を向け、それと向き合いことで、今まで嫌いだったものへの見方が変わるんだなと思った。・嫌いなものの中からみつけられよさは好きなものから見つけるよさより価値がある。・嫌いなものから子ども達の世界が広がっていく。子ども達にとって少し難しいものかもしれないが、素晴らし授業だと思った。
・生命のことをテーマにしていて、面白い。・生と死に向かい合う時間を作る。・生まれて死ぬまでどのように生きるか考えさせられた。生き方の選択=死に方の選択、・人生は生き方も選ぶことができ、終わり方も選ぶことができる。・花が枯れてかわいそう→自然なことだからかわいそうではない。枯れているのも魅力的だ。・人と人との出会いと別れは必然であり、いつか死んでいく為に今をちゃんと生きていくんだということを藤原氏の写真と言葉から読み取れた。
・人生経験が豊富で、言葉に重みがあるなと思った。・表現の仕方が面白かった。
・子どもの想像力を大事にして子どもの可能性を引き出しているような授業だと感じた。・道徳の授業、美術、国語にもなるよい授業だと思う。子ども達の感性の刺激になる。イメージしたものをきちんと発表すること大事。・小学生とは思えないポエムがたくさん飛び出してきて驚きを隠せない。
・様々な角度からものごとを考えることの重要性を学びました。・自分自身も視点を変えて見ることが大切だと思う。・ものの見方や考え方について考えることのできる内容でした。・人生において何が大切かがわかつた気がした。
<追記>水沼文平さんより、下記のようなコメントをいただきました。
「課外授業 藤原新也」を拝見しました。敬愛の学生の感想がとても素直ですばらしいと思いました。
このところ藤原新也の「印度放浪」「チベット放浪」「東京漂流」「全東洋街道」「アメリカ」を読み直しています。最も好きな本は「印度放浪」と「チベット放浪」ですが、25年前に書かれたアメリカ」はトランプ大統領誕生の背景がよく解かるタイムリーな本で学生に推薦したい本です。藤原新也がどう思っているのか知りたいところです。
軽井沢
バブルの頃に開発されたり、勢いがあったりする別荘地はたくさんあるが、低成長期の今そのほとんどが消え入りそうになっている。ただその中で、軽井沢だけが別格で、別荘地としての勢いと品格を保っている(ように思う)。
軽井沢は、新旧の良さが混在し、訪れる人を和ませ楽しませてくれる。私も以前は軽井沢にある上智の教職員用のロッジやセミナーハウスに家族や友人や学生と宿泊する機会が多くあったが、最近その軽井沢に行く機会がなくなり、さびしい限りである。
知り合いの軽井沢日記を読んで、軽井沢に思いをはせる日々である。
http://www.sophiart.co.jp/messay2012000.htm
また、上智の卒業生から、「軽井沢は意外にも手軽に栗拾いできるゾーンがそこここにあるようです。」と、下記の知らせをもらった。
http://blog.goo.ne.jp/bellland3bldg5f10g/e/ab4acf20c8b7cee94d90c02007125427
「別荘地 海外富裕層に販売 西武HD まず軽井沢で」(日経新聞、11月12日)という記事もみられる。