中秋の名月

今日(15日)、中秋の名月。
日本人にとって、月は特別の存在なのか。天声人語に次のような記述がある。
<こよいは旧暦の8月15日、中秋の名月である。残念なことに雨や曇りで見えづらい地域が多そうだが、日本海側などでは静かに光る姿がおがめるかもしれない▼北海道で教鞭(きょうべん)を執ったロシアの民俗学者ネフスキーは日本や中国の詩に、月のモチーフが多いことに驚いたという。日本人にとっての月とは「世の中の歓楽喜悦は永劫(えいごう)のものでなく、何時か最後が訪れる」ことを感じさせるものだと説いた(『月と不死』)。現実を超える魔力があるのだろう▼〈来世と過去世を宙に綯(な)い交ぜて圧し光(て)るものを月と謂(い)うべし〉秋葉静枝。日常の慌ただしさに、心が張る。そんなときは月を探してみるのも一興であろう。>(朝日新聞、2016年9月15日朝刊)。

雲の隙間から、少しどんよりとした満月。ススキも御団子もなく、ソフィー(犬)と一緒にみる。

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つつましやかな満足

経済不況の折、一家の主婦は、新聞の折り込みチラシを見て、1円でも安い品物を求めて店を回っているという新聞記事を目にすることがある。そのように節約した金額が、「チリが積もれば山となる」で、1年間で大きな金額(節約)になるという。これを、幸福度や満足度からみてみたらどうだろう。

私の身近な例でいえば、近くの大きなスーパーで400円のお弁当がそれなりにおいしく量もあり昼食として満足できる。ただ、近くの小さな店のお弁当は500円と少し高いが、注文してから作ってくれておかずの種類も多く温かいお弁当でとてもおいしい。お昼に家にいて、このどちらかのお弁当にしようという時、迷うことになる。

たかだか100円の違いだが、家族の4人分を買うと400円の差がある。これを1か月にすると1万2千円の差となる。毎日お弁当を買うわけではないので、月の半分とすると6千円の差である。1か月に6千円余分に使えば、1か月おいしいお弁当が食べられる。1か月6千円節約すると、毎日のお弁当があまり美味しくない。

1か月6千円といっても少ない額ではなく、半年で3万6千円。1年で7万2千円となる。このお金で、半年に1度あるいは2度、家族で旅行にいくことができる。毎日の満足度を小さくしても、1年に1~2度、家族で旅行し、ドーンと楽しんだ方がいいと考える家族もいることであろう。

上の例は、あまりにつつましく、笑ってしまう人も多いかもしれないが、このようなことで悩んでいるのが、庶民の現実ではないかと、私は思う。(ただ、働き手の父親が、飲み代を、月に1~2回節約すれば、6千円はすぐ捻出でき、家族はおいしい昼食を毎日、食べられるともいえる)

私自身は、年に1~2度の贅沢な旅行に行かなくても、日々の小さな満足(400円のお弁当ではなく500円のお弁当)の方を選びたいと思う。(なんと、つつましやかな満足であろうか。普通サラリーマンの昼食の平均は1,000円くらいではないかと思うので。)

(でも昨日テレビで、インドネシヤの10歳前後の子どもが、タバコの葉を束にする仕事に1日4〜5時間従事し、素手でタバコの葉に触るので、ニコチンが体内に入り、病気になっている様子を放映していた。それは貧しさ故のことで、1日そのように働いても100円もならないという。それを考えると、100円でも馬鹿にできないし、この子らの犠牲の上に、日本や欧米諸国の人々のタバコの趣向が成り立っているかと思うと、やるせない気持ちになる。)