教育社会学への理解

「学会の集まりは新興宗教の信者の集まりのようなもの」と教育社会学者の竹内洋氏が、ある雑誌に書かれていて、なるほどと感心したことがある。
私達大学教員は、自分の専門のことで一番大切に思っていることが、学生はおろか、同じ学科の教員にも理解されず悔しい思いをすることが多い。しかし、大学は違っても同じ学会(学問分野)のメンバー同士は、学問の共通土台があり、世代、性別、大学、地位が違っても、話が通じると感じることができる。年1回の学会の大会で、同じ学会メンバーと交流することで、日頃の周囲の無理解のうっぷんを晴らすことができる。
教育社会学の特質として、自己の方法論や立ち位置を問題にするという自己言及的な謙虚なところがあり、それは新興宗教とは違うところだと思う。
日本では、戦後学会も出来、いくつかの大学で講座や科目のもうけられている教育社会学であるが、その地位は安定していない。
優れた多くの教育社会学の論文や著作が発刊され、多くの教育社会学の研究者が、学会(*)、マスコミ、政府の審議会で活躍しているが、大学で教職科目に教育社会学は入っていないし、教育社会学という科目が開設されて大学もそれほど多くない。
これは嘆くより、研究者が、それぞれの立場で地道に努力し、教育社会学的な見方の有効性を訴えていくしかないだろう。
これは、新興宗教的な見方と思われるかもしれないが、今の全国の大学で、教育関係の学部や学科は、教育社会学への理解があるかどうかで、その大学の教育学研究の水準は左右される(これはデータでも示せる)、それだけの成果を教育社会学は成果をあげていると、私は思う。

* 日本教育学会の会長は広田氏(日本大学)、日本高等教育学会の会長は金子氏₍筑波大学)、日本子ども社会学会の会長は永井氏(東京成徳大学)と、日本の主要な教育やこども関係の学会の会長は教育社会学が専門の研究者である。

親友の訃報

中学校時代に仲のよかった友人(その時代の唯一の親友といってもよい)の息子さんから電話があり、「一昨日父が亡くなりました」と告げられた。驚き、悲しみ、「葬儀に出席したい」と告げながら、彼とのこれまでの交友をいろいろ思い出した。

二人とも千代田区の同じ公立中学(一ツ橋中学校)に千葉県から通っていたので(彼は船橋から、私は市川から)帰りに一緒に帰り、お互いに家にも遊びに行った。彼の家は、船橋の大きな海苔の卸問屋だった。彼は、大学卒業後、千葉の銀行に就職し、同期入社の年下の可愛い女性と付き合っていて紹介されたことがある。その女性と間もなく結婚し、その結婚式にも呼んでもらった。その後は歩む道も違い、年賀状だけのやり取りで、30年以上会うこともなかった。 そして彼が銀行を退職し、第2の職場に移ったとき、2度ほど会った。その時感じたのは、「30年の月日は長いな」ということである。実業界で過ごした彼と大学で過ごした私では経験が大きく違い、話がなかなか噛み合わない。彼もそれを感じたと思う。 ちょうど、夏目漱石の「それから」の平岡と代助のような感じである。

<代助は同時にこう考えた。自分が三四年の間に、これまで変化したんだから、同じ三四年の間に、平岡も、かれ自身の経験の範囲内で大分変化しているだろう>(それから)

「それから」の場合は3〜4年だが、私達の場合は、30年の空白がある。 彼が私の連絡先を息子に残していたということは、中学時代の交友を大事に思ってくれたせいであろう。彼の霊前に参り、冥福を祈ってこようと思う。