リメディアル教育に関する議論(その3)

京都三大学教養教育研究・推進機構の児玉英明さんより、先の小島さんの意見に対して、ご意見をいただいた。児玉さんのリメディアル教育学会の発表レジメ(添付)を添えて、転載させていただく。

<小島先生は「私もリメディアル教育には賛成ですが、個別的には大学教員も取り組んでいると思います。すわわち、学生のレベルに合わせて教え、単位を出しているということです。それを組織的にやるかどうかということは、大学のプライドもあり、コンセンサスを得るのは難しいと思います。」と述べています。この記述にリメディアル教育の根本的な問題があります。つまり、大学には「個別的に」取り組んでいる教員はいても、「組織的に」取り組んでいる大学はないという点です。どこまで行っても、個人的な取組であり、それ故に教員によって対応が分かれ、学生が不利益を被っている可能性があります。教職員一人ひとりのレベルでは、基礎学力に不安を抱える学生の学習支援に関心を持っている者は多いです。しかし、それが組織的な議論に発展するかというと学内ではなかなか難しいという現状があります。このようなディレンマは、なぜ発生するのでしょうか。私がまとめた論考を添付します。(児玉英明)>

2015リメディアル教育学会(児玉英明)

 

リメディアル教育に関する議論(その2-小島・鷲北往復書簡?)

私のこのサイトで、いろいろ議論ができるのは、楽しい。
先の鷲北さんと私、そして小島さんのリメディアル教育に関する討論を読んで、「なかなか興味深い」という感想を読んだ方からいただいている。
さらに、本日(6日)小島さんの論へ鷲北さんよりコメントをいただいた。一部を抜粋して掲載させていただく。

鷲北さんからのコメント(9月6日)
まず一点目です
<私もリメディアル教育には賛成ですが、個別的には大学教員も取り組んでいると思います。すわわち、学生のレベルに合わせて教え、単位を出しているということです>(小島)。
●本当に学生が分かる講義をして、その上で学生と向き合って単位を付与されている場合は良いのです。これは、L大学で多々あったのですが、授業は上位者だけがわかればいいわかんないやつは出席足りていれば単位は出すから、黙って座っていろ。というタイプの先生です。これはS大学でも、みられます。学生と向き合っているという先生ばかりでなく、学生を見下して適当に単位出すタイプの先生を、私は問題にしています。どんなに難しい学問も、基本の上に成り立っています。公文式ドリルや、中学校のものをやることがリメディアル教育なのではなく、自分の専門を理解してもらうために、彼らがつまずいているところまで遡って引き上げてあげる教育。こう考えています。
過去にL大の法律科目で、「公共の福祉が何回読んでも分からない」といった学生がいました。法律の先生は「公共の福祉は公共の福祉以外の何物でもない」と言って、相手にしてくれません。私は、その学生には「みんな好きな事はやっていいという権利は持っているわけよ、だけどさ、みんなが静かに勉強したいと思っている図書館で、「俺は叫びたい、叫ぶのが自由権だああ」と言って叫んだら、周りに迷惑かけるでしょ? ぶっちゃけて言うと<公共の福祉に反さない限り>というのは<人様に迷惑をかけない限り>って感覚に近いわけよ。」このような説明をしたら、よく分かったと言ってくれました。小学生でも、分かるような説明をしてあげること。これが要求されると思います。
二点目
<リメディアル教育の対象となる学生は、基礎学力がないために、そもそも勉学に対する意欲が低い。したがって、教育資源の投資に見合う教育 効果がだせない。>(小島)
●教育資源の投資=上位校の大学教育の水準、と考えるとご指摘の通りだと思います。
しかし、下位の大学の学生は義務教育レベルの水準にさえ到達しておりません。その学生たちに、最低限の学力と、思考力をつけて世に送り出してあげる。これは、下位大学の投資に見合う効果です。分からないまま放置する、学生責任で退学に追い込む、こちらのほうが、よほど不経済と考えています。
三点目
<こうした学生はしばしば経済的な困難を抱えており、アルバイトなどをしないと生活ができないため、勉学に集中できない。教科書や参考書なども 気楽に購入できない、などの問題があります。>(小島)
●これは、T大ではあてはまりますが、下位の現場で言えば、家は裕福、金には困ってない。だけど勉強嫌い、やる気無い。といった学生層が一定数います。親に資源があっても、子どもがその気にならないというやつです。私自身が、落ちこぼれていた時は、このタイプでした。
最後に
<大学の教員の側の問題としては、以下のようなことがあると思います。大学の教員のプライドがこうした教育をやるのを阻止する。>(小島)
●この点は、そんなプライド捨ててしまえ、目の前の学生に向き合えない教師としてのプライドはないのか?と、問いたいです。研究志向なら上位の大学や研究機関に就職すれば良かったわけで、それが出来ずに下位の大学にいるなら考え方を変えていただきたい。
<現実問題として、研究業績が重視される。>(小島)
●ここが最大のポイントになるのでしょう。大学はもう多様化していて、研究者として優秀であることが、学生に還元できない環境もあるのです。実感としては、半数の大学がそうでしょう。学生に対して、どのように自分の研究が還元できうるのか、下位の大学はこれを研究テーマにしても良いのでは。研究職教員、教育職教員と、明確に分けても良いのかもしれません。数学を専門としていない私ですが、数学科目の私の授業アンケートは上位です。このレベルの大学では<数学研究者として優れていること>よりも<数学が分からない学生が、分かる授業をすること>こちらのスキルが求められているのがリアルです。
児玉先生は、また違った考え方かもしれません。ただL大学という職場で共に闘ってきたので、共通認識は持っております。小島先生のように、理解ある教育研究者が、増えていくことを願っております。(鷲北貴史)