今朝は朝5時に目を覚まし、朝(焼け)の空を見上げ、庭の草花に水をやり、PCのスイッチを入れる。
朝の空は、日の出の赤みを帯びきれい。ただ空は家々に隠れ一部しか見られず、もっと朝の空が見えるところに行きたいと思った。
庭の草花は、また眠っているものと、うつらうつらしているものと、ばっちりと目を覚ましているものがあり、人間と同じと思った。
ネットで藤原新也のクローズ・サイトを読むと、氏が最近の若い記者やジャーナリストの批判力のなさに怒り心頭の文章が飛び込んできた。(引用可というので、一部転載する。)
<小池の目指す本丸は費用の増大であり、小池がかねてよりブラックボックスと名指ししていた件は内田茂都連幹事長支配のもとによる不透明な金の流れである。
この不透明な金の流れは森喜朗の元に行われている東京オリンピックにおける費用の増大と同一の構造を持った、ある意味で平成の大贈収賄事件ともなりうる大問題なわけだが、会見の模様を見ると、都付きの記者連中も腑抜けの集まりで自民党都議と同じように内田茂というドンに暗黙のうちに支配されて来た習性から抜けきれないのか、この本丸への切り込み質問はまったくなく、あさっての質問ばかりであっけなく幕を閉じた。(中略)
思うにこういった焦臭い伏魔殿に関してはこれが20年前以前であれば大新聞などがそれを嗅ぎつけ、身を粉にして切り込んだ取材を行い、特ダネ記事として発表して来たわけだが、逆に知事がその問題を取り上げるというのも本末転倒だが、各紙の記者その後追い質問もないというのは今の世の中の大メディアの若い記者がすでに記者ではなくなっており、マニュアル遵守のロボットと化していることはマニュアル質問ばかりで興を削いだリオオリンピックにおける若い記者連中の選手に対する質問と同様である。(中略)
昨今こういったお抱えジャーナリストが一見良識人風の顔をしてメディアに跋扈しているから日本は国連報告によって報道の自由度世界で72位というありがたいお墨付きをいただいているわけだ。(「藤原新也サイトCatwalkより一部転載」)>