夏の朝の楽しみー朝顔

夏の朝の楽しみの一つは、今日は朝顔がいくつ咲いているだろうかということ。今年私が庭や植木鉢に植えた青の朝顔はまだ成長途中で、つぼみもみられない。隣の家の塀の青い同じ種類の朝顔はきれいに咲いている。そちらを鑑賞する。うちでは、植木鉢で買ってきた沖縄の青い朝顔が咲き始めた。こちらもどこまでツルが伸びいくつ咲くかが、楽しみ。

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夏の卓球

今日は、体を少し動かしたくなり、卓球練習が始まる10分前に思い立ち、5分で支度して、家の前の小学校の体育館へ。風を遮るため、冷房のない体育館を閉め切るので、中は蒸し風呂状態。メンバーには暇な老人が多い(毎日卓球をやっているという80歳の人もいる。私は月に2度やると十分満足する)。準備体操の後、10分くらいの交代で相手を変え、ラリーをする。私はついテニス打ちになってしまう。少し後ろに下がり、思いっきり肩を廻し腕を振る打ち方。あまり卓球的には褒められた打ち方ではないが、ストレス解消にはなる。後半のダブスルの試合はパスして、家でシャワーを浴び、一休み。外の運動場では小学生が、サッカーの練習試合。夏は、老人と子どもが元気。

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仙台からの便り

先先月に「財団法人中央教育研究所」を定年で退職され、故郷の仙台に戻られた水沼文平さんから近況報告が届いた。相変わらず、骨のあるまた文学教養に充ちた報告である。ご了解を得て、掲載させていただく。

近況報告です。
新居に沿った県道263号線を6キロほど北上した泉区に宮城県立図書館や仙台泉プレミアムアウトレットがあります。友人の車で案内してもらいましたが、雑木林に囲まれた図書館はガラス張りのモダンな建物で書籍はもちろん郷土資料も充実していました。またアウトレットは多様な店舗があり老若男女でにぎわっていました。50年前は旧七北田村で山林や田畑があったところです。この大きな変化に驚いています。
今日の午前中、同じ友人の誘いで「仙台七夕祭り」を見てきました。店ごとの七夕飾りは画一的な吹き流しが主で、昔はたくさんあった「からくり」もほとんど見当たりませんでした。
5月の「青葉祭り」は伊達政宗の命日に由来する青葉神社の祭礼ですが、本来の意味を失い、スズメ踊りや何とか山車など、わあわあ騒ぐだけのものになっているようです。七夕も同様、短冊に願いごとを書くことは幼稚園や小学校だけの行事になっていると思われます。
お祭り騒ぎもけっこうですが、子どもたちの将来のために盛岡の「先人記念館」のようなものを作って欲しいものです。何人か偉人を上げて見ますが、大槻玄沢(蘭方医)、吉野作造(思想家)、井上成美(軍人)、佐藤忠良(彫刻家)、千葉周作(剣術家)、土井晩翠(詩人)、支倉常長(慶長遣欧使節)、林子平(経世論家)、原阿佐緒(歌人)、志賀潔(細菌学者)などの優れた人々を宮城県は生んでいます。
七夕を見物中、私が50年前に卒業した高校に属する生徒にチラシを渡されました。そのチラシは偏差値の高い何校かの「ナンバースクール文化祭」を案内するもので、エリート意識から来るのか「ナンバースクール」と明記する無神経さ・精神性の軽さ(謙譲心・思いやりの欠如)に変貌した七夕祭り、青葉祭り同様の失望を感じました。
このような変貌(変容)は多分全国的な傾向だと思いますが、この近況報告は長年故郷を離れ、故郷に幻想を持ち続けた今浦島の「たわごと」として受け止めていただければ幸いです。(水沼文平)

 

海と犬

海水浴をする海岸に、犬を連れて行くのは、あまり好ましいことではないだろう。また、昼間の海岸は、太陽の光が強く、砂も熱く、犬の為にもよくない。ただ朝の人の少ない時に、砂浜を汚さないように注意しながら、遠慮がちに散歩するのは、許されるであろう。
朝の6時過ぎにソフィー(犬)を連れて、御宿海岸を散歩した。もうすでに、サーフインをする人たちが海に入り、いい波がくるのを、待っていた。
6時半からは、月の沙漠記念館の前では、ラジオ体操が始まり、30名ほどの老人たちが集まり、体操をしていた。私も少し参加した。(「ラジオ体操に集まる人達は集団なのか」ということを検証した社会学論文を読んだことがある。ラジオ体操をするという目的は明確にあり、リーダーらしき人はいるが、参加メンバーは閉じられていなくて誰でも参加でき、メンバーの集団意識は薄い(同じ電車に乗り合わせた人のよう)という考察を思い出した。観察すると、体操が終わると、すぐ帰る人、知り合いと挨拶する人、連れだってどこかに行く人と、さまざまであった。ラジオ体操をする「集団」は、普通の集団と群衆の中間的な存在だと思った。

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