先の「34回学校社会学研究会」で、私自身が学んだことや考えたことを記録に残しておきたい。学会や研究会で人の話を聞くということは、本や論文を読む以上に、印象に残ったり考えさせられたりすることが多い。(カッコ内は報告者)
① 「校長のリーダーシップの下、カリキュラム、日々の教育活動、学校の資源が一体的にマネイジメントされ、教職員や学校内の多様な人材が、それぞれの専門性を生かして能力を発揮し、子供たちに必要な資質・能力を確実に身に付けさせることができる学校」(中教審答申)という「チームとしての学校」は、カウンセラーやソーシャルワーカーなどの専門家の学校への導入で、教師の多忙を軽減し、教師の力量を補う面があるにしろ、これまで日本の教師の培ってきた教職の専門職性を薄め、校長の専制を強める働きがある。教育現場の実情から慎重に考える必要がある。(坪井)
② 外国籍の子ども、ニュカマーの子どもの教育の研究が、盛んになされているが、そこに、今増えている「ハーフ」の子どもの視点を入れてみると、新たな問題が見えてくる。さらに近年この問題は、学校内の教育や活動の問題だけでなく、家庭(育ち)や学校外の活動(SNSも含む)の問題とも連動している。日本における「ハーフ」の子に対する見方には、歴史的に変化がある。また「ステレオタイプ的な見方(現在では、例えばローラが典型)がある。日本人の「ハーフ観」によって、「日本人らしさ」がわかる。現代ハーフには「快活さ」というパホーマンスがみられるが、それはゴフマンの「洒落さを備えた技法」に通じるものである。(ケイン)
③ 「治療共同体」はドロップアウトした若者を包摂する方法である。薬物等を断つことに力点を置くのではなく、個人の生きる力を引き出し人生を再構築(自己物語化)を行うことに比重を置いている。生活を共有する集団に参加することによる問題の意味の気づきをめざす。(古賀)
④ 文化系部活動には、文化資本の生得性が作用する。(白石)
⑤ 学校校舎の新築様式だけでなく校舎の改修や空間変更の実例により、教育現場がどのような校舎や学校空間を求めているかがわかる。学校建築家は教育の現場を知らず、建築の美的観点からのみ校舎を設計するという無責任なことをすることが多い。(藤原)
⑥ 教育社会学は教育実践と一線を画しているが、教育実践に対して一定の寄与をすることはできる。それは、教育社会学研究者の教育現場でのアドバイスに対する教員の評価からわかる。(名越)
⑦ 研究者である事を優先し、目の前の学生の現実に向き合おうとしない大学教員は少なくない。大学教員は、大学は「最高学府」というよりは社会に出る前の「最終学府」という意識で、基礎学力支援を業者に丸投げするのではなく、自ら学生に向き合っていく姿勢を持つことが大切である。(鷲北、児玉)