地域に根ざした学校

地域に根ざした公立の小中学校は、その地区の実質的にも精神的にも中心なのであろう。その学校がなくなるということは、その地域が消滅することも意味する。
武蔵大学時代に同僚だった黒澤英典先生より、先生が60数年前に卒業された秩父の両神中学校が69年の歴史に幕を閉じ終焉をむかえることに、「心の故郷の喪失で寂しく気持ちがいたします」というお手紙をいただいた。先生は、「地域の志を同じくするか方々とささやかな寺子屋を故里の我が家で始めました」と書かれていて、さすが熱い教育学者と、心打たれた。
私の場合は、市川市の小学校、千代田区の中学校と東京の郊外や都心の学校を出ているので、黒澤先生のような地域への思い入れがない。個人主義的で、地域意識がない。この点は、いかんともしがたい(と言いながら、千葉に愛着を感じているのであるが、、)
小中学校のみならず、高校や大学も含めて、地域に根ざした学校、大学というものは、今消滅しつつある。だからこそ、今地域に根ざした学校を大切にしなければならないのかもしれない。

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あいまいなもの

この世の中で、あいまいなものの取り扱いが一番難しいのかもしれない。
白とか黒とか、色がはっきりしているものは、取り扱いが決まっているが、
灰色(グレー)のものは、白として扱えばいいのか、黒として扱えばいいのか、迷うことが多い。
法律や規則で定められているものは、その通りにすればよいので楽である。
他方、各自の自由選択に任されている領域(食べるものや着る服、読む本や観るテレビ番組、聴く音楽など)は、その日の気分で決めればいい。
ところが、その中間のグレーゾーンのこととると、いろいろ迷うことになる。
学校で、授業や部活動で決められた時間は迷わずそれをすればいいが、下校の時、誰と帰るのかがグレーゾーンに入っていると迷うことになる。
宴会でも1次会は決められた式次第に従って進行するので迷うことはないが、2次会となると、それに参加するかどうかかで迷い、支払いやそのほかのことで気を遣う。
人間関係も、上司―部下、先輩―後輩、教師―生徒、夫―妻という関係は、地位や役割関係がある程度定まっているので、それに従って行動すればいいので楽だしあまりトラブルも起きない。ところが、インフォーマルな友人関係や異性関係は,はっきりしないグレーゾーンの部分が多く、いろいろ問題がおき、傷つくことも多い。いじめが起きやすいのも、このグレーゾーンの部分である。
「空気を読む」ということは、このグレーゾーンの濃さを的確に判断し、その濃さにふさわし行動をとるということである。

「地域社会と教育」「地域社会と子ども」というテーマを扱った本や論稿を読んでみると、そのあいまいさに困惑することが多い。学校教育の分野は、制度的に決められていることが多く、それに従うにしろそれに反対するにしろ、やるべきことははっきりしている。
ところが、地域社会というところは、曖昧模糊としていて、範囲もわからないし、親や子どもが地域社会のどのようなものからどのような影響を受けるのかも漠然としている。この分野の論稿は、その実態や理想を考察して、どのようにすべきが書かれているのであるが、それ自体があいまいで、自分の理解を超えることが多い(私は地域KYなのであろう)。

明日(10日)の授業は「こどもと地域の教育論」。テキストをもう一度読み直そう。そのテキスト 夏秋英房「地域社会と教育・保育支援」(『教育の基礎と展開』学文社、2016)に、次のようなことが書かれている。

地域の教育力には、意図が明確な組織的なものと、偶然的な関わりのなかで及ぼされる非組織的なものと、その中間形態のものの3つがある。この3つの覆う範囲が時代と共に変化して(昔は非組織的なもの優位、その後組織的なものが優位になり、今は非組織的なものが減少(いわゆるわ地域社会の崩壊)し、新自由主義政策で組織的なものも縮小(行政の民間委託)、その代わり中間領域は広がった。)その為、その中間領域を扱うNPOや、中間領域のマネージや3つの分野を調整する地域教育コーディネーターが必要になった。今は、地域教育のNPOと、地域教育コーディネーターの時代である。「地域教育プラットフォーム」構想は、そのあらわれあろう。
(http://www.pref.nagano.lg.jp/kyoiku/koko/gakko/saihen/joho/iinkai/documents/03_03.pdf)

 

 

カタツムリ

最近、カタツムリを見ないと思ったら、小さなカタツムリが1匹庭にいた。水を如雨露でかけると、動き出した。
ネットで調べると、カタツムリについて、いろいろ興味深いことが書いてあった。
http://ikimono.ciao.jp/katatumuri/katatumuri.html(下記に一部転載)

カタツムリは巻貝の仲間。ふやしかた は、飼育ケースに土を入れて、同じくらいの大きさのカタツムリを数匹入れます。•カタツムリは夏の初めごろ、こうびします。つのの下(ほっぺた?)のあたりから白いつののようなものを出してこうびします。•5~8月ごろ、しめりけのある土の中に掘(ほ)って入り、卵を産みます。•20~30日ほどすると、卵がふ化します。赤ちゃんはカタツムリのミニチュアサイズ!かわいい!
じつはカタツムリにはオスメスのくべつがありません。 1匹でオスとメスのどちらのはたらきもするのです。おどろき! でも、2匹以上いないと卵は産まれません。

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中学校の部活動について

今日(8日)の朝日新聞朝刊には、中学校の部活動が取り上げられていた。この分野の研究を長年続けている西島央氏(首都大学東京准教授)のコメントが載っていた。要点をピックアップしておく。
1現在でも多くの学校に外部指導者が入っている。指導者には、しかるべき研修や資格できちんと部活動の意義を共有してもらう必要がある。
2 学校と社会をつなぐような仕事をする人を各校最低1人配置する。
3 1週間のうち月水金は野球、火木は演劇といったように、一つの部の活動日数を減らして、複数の部への加入を認める。
4 部活動には、放課後や週末の居場所、友達や地域社会とのつながりづくり、進路選択、文化面での格差是正などで役割や意義がある。学習指導要領に、部活動の役割や意義をしっかり定義する。

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母の日

今日(5月8日)は、母の日。
母親にカーネーションややプレゼントを贈っている人は多いであろう。
私の場合、唖然としたのは、今年は生まれて初めて、何十年ぶりに何かを贈るべき母がこの世にいないという事態である。
いなくなって、できなくなってその大切さに気が付くということがある。今いる人、今あるもの、今できることを大切にしたいものである。

上記の文章に関して、母の日のカーネーションの昔や由来など、貴重な情報を、水沼文平さんが寄せて下さった。掲載させていただく。 

「母の日」を拝見いたしました。私が小学生の低学年の頃(昭和30年頃)、学校では「母の日」に、母が健在な子には赤い造化のカーネーション、母を亡くした子には白い造化のカーネーションが与えられました。何年か前に高校の同級生数名と故郷で飲んでいてこのカーネーションが話題に上りました。小学生の頃の彼らの同級生のケースを紹介します。A夫は両親が離婚して新しい母親がいます。B子は両親が離婚して父親と一緒ですが母は他所で健在です。C子は母が死亡して祖父母と暮らしています。学校がそれぞれに渡したカーネーションは、A夫は赤、B子とC子は白でした。ほとんどの子どもは赤いカーネーションをもらいましたが白いカーネーションを胸につけた子どもの気持ちはどんなものだったでしょう。私の経験ではB子タイプの同級生の女子は貰った白いカーネーションをすぐポケットに入れてしまいました。私はカーネーションの「安全ピン」を初めて見たという記憶が残っています。

そもそもこのカーネーションはアメリカの教会で母を亡くした人に白いカーネーションを贈ったことが起源で、このことが「母の日」に発展したとのことです。日本でも戦前から教会を中心に白いカーネーションがあったようですが、戦後GHQの指導によるものか「母の日」が制定され、赤いカーネーションが登場したものと思われます。日本では学校が教会の代わりをして「家族調べ」を基に母のいない子には機械的に白いカーネーションを配ったようです。「母の日」に子どもが母に赤いカーネーションを贈るようになったのはいつ頃からでしょうか。私の母は30年前に亡くなりましたが生前カーネーションを贈った記憶はありません。母親の「生存・死亡」を基準にカーネーションは他者から貰うものだという固定観念のせいか、あるいはそういう習慣が一般化されていなかったからでしょう。バレンタインデーも含めこれらの新しい習慣を見ても日本人は外界から影響されやすい民族といえます。カーネーションというステレオタイプから離れ、それぞれの母親が最も喜ぶものを贈りたいものです。(水沼文平) 

 

 私も水沼さんの文章を読んで、小学校時代に学校で子どもたちに造花のカーネーションが配られていたことを思い出した。それを安全ピンで胸に着けて、母親への感謝の気持ちを表した。その時、母の健在の子どもには赤、母がいない子には白のカーネーションが配られた。今思い出すと、それは残酷な気がする。また当時は皆貧しかったので、子どもが本物のカーネーションを買うことはできなかったので、造花を学校が子どもたちに配ったのであろう。その後、幼稚園や学校の美術工作の時間などで、子どもたち自身がカーネーションを紙などで作るようになったと思う。

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