文部科学省のデジタル教科書に関する有識者会議の昨年12月の会議に、国立情報学研究所の新井紀子教授が招かれ、専門的な立場から「デジタル教科書」について意見を述べている。(http://www.mext.go.jp/b_menu/shingi/chousa/shotou/110/gijiroku/1370083.htm)
その内容を要約しておきたい。実証的なデータにもとづき、社会的な観点入れた意見のように思える。
① 高校でのIT化は、大学・就職との接続という意味でも意義が高い。また、回線状況を考えると、小中より費用対効果が高い。
② 議論の対象は、教師用の「デジタル教科書」ではなくて、国が設置者に対して無償給付をする、児童生徒用の「デジタル教科書」。
③ 国、あるいは保護者の経済的負担を考えると、それを上回るメリットが「デジタル教科書」にあるということが、ある程度証明されなければ導入は難しい。
④ 「デジタル教科書」が、障害や困難がある子供たちには大変恩恵になる。しかし、動画や音のコンテンツはユニバーサルデザインではない為、盲ろう児は利用できないコンテンツが圧倒的に多い。
⑤ (映像や動画が有効と言われるが)1万円を切るようなハード(タブレット型PC)では、画面の面積に大きな制約が伴い、複数の教材を広げて一覧しつつ学習を進めるということは困難になる。画面が切り替わると記憶として残らない。抽象的な題材は動画にしても意味が薄い。高学年以上の国語や数学を動画・音声にするメリットを見出すのはなかなか難しい。テレビによる視聴覚教育について、近年、視聴が大変減少しているという事実がある。指導者用の「デジタル教科書」にみんなで一緒に見るようなデジタル教材が入っていれば十分なのではないか。
⑥ 自動採点ができるテストとドリルは穴埋めと選択式問題におおよそ限られる具体的には、国語ですと漢字書き取りまで、算数では九九まで。ドリル学習に子供が慣れてしまうと、かえってオープンエンドな問題に耐えられなくなる。
⑦ 協同学習に「デジタル教科書」有効なわけではない。グループワークにPCを持ち込むことで視線が個人のPC画面に奪われて会話が減るということ報告されている。
⑧ 現状のPCやタブレットでは、書き込みに係る児童の認知負荷が高過ぎる。例えば、色を選ぶとか、太さを選ぶとか、形を選ぶか、文字を探すとかを確認するというようなところに認知負荷がかかりすぎるため、内容よりも型式を整えることに認知処理のエネルギーが奪われてしまう。
⑨ 「学びのログ」を取ることによって一人一人の個性とニーズに合わせたテーラーメイドの教育が可能になるという言説がある。しかし、クリックデータやログイン履歴だけでは、ほとんど意味がある分析はできない。
⑩ 日本の小学校の授業に特化して開発されたツールやソフトウェアというものに国際競争力はない。
(まとめると)現状の、特に近未来のタブレットPCを前提とすると、「デジタル教科書」を特に小中学校に導入することについて、財政負担を上回るメリットはない。高校のICT化、例えば校内LAN、各教室に埋め込み型プロジェクターか軽量プロジェクターを導入する方が、意義がある。