来る6月4日(土)〜5日(日)に琉球大学で開催される日本子ども社会学会23回大会の発表要旨集録がWEBで公開されている。
http://www.js-cs.jp/wp-content/uploads/2015/10/jscs2016resume.pdf
発表を聞く前に、あらかじめ読んでおくことができるので便利。
来る6月4日(土)〜5日(日)に琉球大学で開催される日本子ども社会学会23回大会の発表要旨集録がWEBで公開されている。
http://www.js-cs.jp/wp-content/uploads/2015/10/jscs2016resume.pdf
発表を聞く前に、あらかじめ読んでおくことができるので便利。
謝罪についてのとらえ方は日本とアメリカではかなり違うと思う。しかし日本の謝罪観はアメリカのそれに近づいているようにも思う。日本では通常「すみませんでした」とすぐ謝り、相手も「こちらこそ悪うございました。許して下さい」と誤り、お互いに謝ることにより和解が成立する。ところが、アメリカでは、謝ると自分に非があると認めることで、それは負けを意味する。謝らず、相手の非を非難して、勝ちを勝ち取るべきだという文化があると思う。日本もだんだんこの考えに近づいている。
オバマ大統領の広島訪問にいろいろな見方があるが、広島への原爆投下に関して謝罪しなかったことに、失望感を示す意見も多く見られた。これは、日本的な謝罪観とアメリカ的な謝罪観を両方含んだものであろう。
戦争の勝ち負けが既に決まっている時点で、空からの大量の民間人を殺りくしたアメリカの広島、長崎への原爆投下は、当然非難されるべきことがらで、多くの日本人がそれに対して大きな怒りを感じ、謝罪もないアメリカ大統領の広島訪問に、失望や怒りを感じてもおかしくない。
その失望や怒りが大きくならなかった原因について、歴史社会学の山本昭宏氏は、]「『平和』に覆い隠され、被爆者個人の怒りは表に出てこなかった」「大きく分けると、怒りを表せなかった終戦直後、それが解き放たれた50〜60年代、『平和国家』の名のもとに怒りを表しづらくなった70年代以降」となる、と考察している(「朝日新聞」5月28日、オピニオン)。
一方、藤原新也は、オバマ大統領の広島訪問を一定程度、2つの理由から評価している。ひとつは、空から大量殺人をした原爆に対して、地上に降りたち、多くのアメリカ国民の反対を押し切って広島を訪問したこと。もう一つは、アメリカの大統領が有色人種だからこそ出来た広島訪問ということ。白人は、決してドイツやイタリヤには原爆は落とさなかったし、白人の大統領は広島を訪問しないであろう。。
ことは、謝罪の有無よりは、もっと大きなこと(戦争、人種問題、核問題―核戦争、原発事故)を考えなければいけないことのようだ。
私達は、都会化すればするほど、見知らぬ人に声をかけるのはしにくい。天声人語にも、その為、座席の倒しに関するトラブルが続出していると書かれていた(下記参照)。
<このごろ新幹線や飛行機、長距離バスで、前の乗客から「イスを倒していいですか」と声をかけられることが増えた。そのひと言で旅の気分はほんのり温まる。かと思うと無言でグワッと倒され、一気に冷える日もある▼外国の航空路線で少し前、座席の倒し方をめぐるトラブルが続いた。「急に倒されてスマホが割れた」「頼んでも戻してくれない」。後ろの客が前の客を殴って警察へ連行された。交通手段が高速化するにつれ、乗客の頭に血がのぼるスピードまで速まったのだろうか▼鹿児島交通で長距離バスを運転する村瀬芳尚さん(39)はもめないよう一計を案じた。走り出してすぐマイクで語りかける。「後ろの方が気になって席を倒しにくいってことありますよね。後腐れのないよういま一斉に倒しましょうか。はいドーン」▼効果はてきめん、乗客が苦笑いしつつこぞって倒しにかかる。運転手が言うなら気兼ねはいらない。さえた車内放送をツイッターで紹介した客がいて、評判は広がった▼乗務マニュアルに書かれていたわけではない。「倒す倒さないでもめると、終点の福岡まで6時間ずっと雰囲気が重くなります。僕が声かけ役を一手に引きうけようと考えました」▼座席倒しトラブルの多さに手を焼いた英航空業界には、全席を倒せないよう固定した社もある。だが乗る側の快適さでいえば、一斉ドーンの村瀬さん式のほうが格段に上だろう。費用はかからず警察沙汰にもならない。何より旅の気分が温かくなる。(「天声人語」5月29日より転載)
小さな子どもは、見知らぬ同世代にどのように声をかけ、一緒に遊ぶのであろうか。幼稚園や保育園で、子どもが遊び友達を探したり、遊び集団に入れてもらう方法を観察しそれを明らかにした研究がある(藤崎・武内編『子ども・青年の生活と発達』放送大学教育振興会、2006年、77頁)。 私も3歳半の男の子(Y)が、公園でどのように見知らぬ子と遊ぶようになるのかを観察することがある。
自分から声をかけるのであるが、拒否されると、いたく傷つき、しばらくは一人遊びを続ける。運よく、遊んでくれる友達が見つかると、うれしそうに一緒に駆け回る。公園だと、来る子どもが毎回代わり、遊び相手探しの苦労をいつもしなければならない。 昨日(29日)は、公園に自転車で行く途中で、チョウを上手に採っている4歳の女の子に見惚れていたら、一緒に遊んでくれて、Yにとってラッキーな日だった。小さい頃の人間関係の作り方が、大人になってからの人間関係の作り方に影響すると思う。
シンガーソングライターは、曲だけでなく歌詞も自分で書く。学生にある曲が好きなになる理由を聞くと、その歌詞に惹かれたという答えが少なくない。
そのことで少し知りたいと思ったのは、学校の音楽の授業で、歌の歌詞はどのような扱いを受けているのか、ということである。学習指導要領には歌詞についてどのように書かれているのであろうか。
音楽というのは曲(メロディーとリズム?)がやはり主にるのであろうか。歌詞は、あくまで曲のつまのようなものなのであろうか。でも、多くの人が曲の歌詞に惹かれ、それゆえにその曲が好きになるということであるならば、音楽の中にまた音楽教育の中に、歌詞や作詞の勉強が入ってもいいように思う。