千葉の海(稲毛海浜公園)

今日(19日)、やっと皆の体調もよくなり、朝からいい天気なので、家族で近くの稲毛海浜公園へ。
外の公園ではもう菜の花が咲いているが、花の美術館の中は、クリスマスの飾りつけ。
外の池には、お腹を空かせた鳥たちがパンに群がって来た。コスプレの若者の写真撮影が何か所でも見られ、東京湾の海もきれいで、子どももソフィーも大喜び。
湘南のような華やかさはないが、千葉の海もそれなりにいいところがある。
(写真をクリックすると拡大します)

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江藤淳について

 今日(18日)の朝日新聞朝刊に、評論家の江藤淳への手紙がいくつか見つかったという記事が載っていた(下記参照)。
 私は、若い頃から江藤淳のファンのひとりなので是非見てみたいという気持ちが強い。しかし、一般には江藤淳の名前を知らない人も多いだろうし、現在、江藤淳に関心をもつ人も少ないのではないか。(私は一度だけ会い、江藤淳とだけ書かれた名刺をもらったことがある)
 昔江藤淳を個人的に知る慶応大学出身の偉い先生に、「江藤淳のファンだ」と言ったら、「いろいろ問題を起こす人ですよ」ということを言われ、その言葉が印象に残っている(その証拠のようなことが、今回の新聞記事に載っている)。
 芸術家や文学者はその芸術や文学が卓越していれば、人間性や人付き合いに問題があろうと、それはたいしたことではない(それは、ゴーギャンをモデルにしたモームの「月と6ペンス」の主題だったのではないかと思う。江藤淳は、4歳半の時に母を亡くし、人や社会とのつきあいの方法に苦労したのであろう)。
若い時、江藤淳の『成熟と喪失―母の崩壊』『アメリカと私』を読んだ時の衝撃は忘れられない(上野千鶴子も「成熟と喪失」の読後感で同様のことを書いている)。
人が生きるということは、日本的甘えを切り捨てて、真向勝負することということを教えられたように思う。しかもその底流には漱石のようにあたたかい心が流れている。
(城山三郎は、『アメリカと私』の礼状で、「実に堂々と肩を並べ、一人の職業人として、そして紛れもない一人の日本人として生き、語り、働いておられる感じです」と江藤淳の生き方を称賛している)。

(以下、朝日新聞 12月18日朝刊より転載)
 戦後を代表する文芸評論家・江藤淳が作家などから受け取った手紙とはがきが、300通以上見つかりました。内容も筆跡もさまざま。差出人と江藤との人間模様が浮かび上がります。
 戦後を代表する文芸評論家江藤淳(1932~99)が、批評家小林秀雄や政治思想史家丸山真男らから受け取った書簡が見つかった。礼状から抗議文までさまざまで、意外な交流関係もあり、文壇の緊張感や保守派の論客・江藤の素顔が伝わってくる。18日発売の「新潮45」誌で一部が公開される。
 書簡は300通以上ある。多くの中から江藤が選別して残したものらしい。作家埴谷雄高(はにやゆたか)からのはがき(62年3月)は、献本への礼から始まるが、〈文壇的にならないように〉と釘を刺して終わる。江藤の評伝を執筆中の平山周吉氏は「江藤は埴谷から影響を受けたが、後年の激しい論争の伏線といえる不穏な手紙」とみる。
 作家北杜夫のはがき(67年11月)は4枚続き。贈られた「江藤淳著作集」を読めない事情を、〈ウツ状態から脱しかけ〉〈どうもまだハガキ一枚まともに書けない〉と弁解しきり。埴谷を弁護する一文を挟み、締めの一文は〈死にたくないと思います〉。
 65年3月の音楽評論家吉田秀和の手紙は抗議文だ。江藤は朝日新聞夕刊の文芸時評で、加藤周一の小説を「国際連合的感覚」と批判した。吉田は〈ショックでした〉と書き、加藤の普遍的な概念による表現の努力が「最大公約数的な考え方」だと誤解されるのでは、と擁護している。
 仏文学者河盛好蔵からの一通(83年3月)は江藤のミスを厳しく指摘する。小林秀雄追悼の論考で「出典不詳」と江藤が書いた文は、上田敏の訳詩集「海潮音」にある〈マラルメの有名な言葉〉だと。温厚で知られた河盛だが、専門領域では手加減無しだ。
 一方、ウイスキーを贈られた作家立原正秋は「江藤さん、これはすこし律義すぎるな」と書いている(65~71年ごろ)。
 平山氏は「ライバル意識を隠さない文面には驚く。一方、献本や時候のあいさつを欠かさない江藤の昔気質な面もうかがえる」という。献本に対する小林や丸山からの礼状や、プロレタリア詩人中野重治や劇作家寺山修司、作家山崎豊子らの書簡もあり交流の広さを物語る。今後の研究の貴重な資料になりそうだ。(吉村千彰)

 掲載誌『新潮45、1月号』を購入して、「江藤淳への手紙」を読んでみると、当時の文学者、思想家の大御所からの手紙が満載で、目がくらくらするほどである。日本の思想界、文学界のトップには、このような親交が存在したとだと、びっくりする。そのような中で、江藤淳の自死を防げなかったのかと、残念な気がした(12月26日)

多様性、多様な見方について

敬愛大学 教育課程論(2015年12月16日)講義内容 

 テーマ 多様性、多様な見方について

 趣旨  教育において、画一的な見方ではなく、多様な見方が重要なことを、そのいくつかの具体例をあげて説明する。

1 先週配布したプリントの説明
 ①松尾知明氏によれば、多文化教育とは、ⅰサラダボールやオーケストラのようなもの。ⅱ少数で権力がなく弱者のマイノリティーの視点に立つ。ⅲ旅行アプローチののような表面的なものではだめ、もっと実際の生活に則したもの。
 ② 佐藤郡衛氏によれば、単一文化的アプローチ、比較文化的アプローチ、異文化間教育的アプローチの3つがあり、多文化教育は第3のものであり、異質なものが入ってこそ、自分達も豊かになると考える。

2 すぐれたもの(文章、作品等)には次の3要素があると思う。
① 全体として優れていて、多くの人の心を掴む(普遍性をもち且つ時代の空気も反映している。)
② 主張は骨太で、はっきりしていて明確で、理解し易い。
③ 同時に、それは主張の押しつけではなく、多様な解釈、批判も許容するスケールの大きいものである。

3 宮崎駿の映画が、人気があるのは、上の3つの条件を満たしているからであろう。宮崎駿論が多く出されているのも、多様な解釈が可能だからである。村上春樹の作品(小説、随筆)の魅力も同様の特質から来ている。井上陽水の歌「傘がない」が一世を風靡したのも、大学紛争後の時代精神を的確に掴み、多様な解釈を許容したからである。

4 フィスクの説明によると、マドンナの「ライク・ア・バージン」の歌詞には、4つの語呂合わせ(宗教的愛、セクシュアリティー、ロマンティック・ラブ、都会で生存競争)があり、読者なりの意味の読み取りができるようなものになっている。マドンナの音楽は、その時代の空気を反映しているだけでなく、多様な解釈を許容するスケールの大きなものである。

5 多文化教育で、大事なことは、多様な見方を理解し、許容することである。その際に、バンクスの「転換アプローチ」は有効な方法である。他国や他者の立場から,同じ事象を見てみる。第2次世界大戦や広島・長崎への原爆投下を、日本人の立場からだけ見るのではなく、アメリカ人、日系アメリカ人、中国人、韓国人(朝鮮)の立場から考える。

6「転換アプローチ」による「原爆教育」は、日米で行われている(過去のNHK番組を視聴)。

7 藤原新也の「世にも不思議なマクドナルド」も、「人種差別はよくない」という一般的な視点や差別される日本人の立場からだけでなく、何故アメリカ人がアジア人を差別するのかということを、アメリカの歴史から理解し、その上で、人種差別の問題を多様に深く考える必要があるであろう。

本日の配布資料 IMG_20151216_0001

当日の学生のリアクション(一部抜粋)

・優れたものの3要素が一番印象に残った。したがって、私もこの3要素を用いてレポートや会話等に日常生活を送ってみようと思った。
・国籍が同じだと他者でもある程度理解することができるが、国籍が違うと見知らぬ人への理解が一気に低くなる。
・他者をどこまで理解できるかについて、国の違いよりも自分の友人かどうかの方が重要であることを知り、なんだか嬉しくなった。実際に中国に行き、中国人の友人と会話したりしていると、まるで国籍が異なるのを忘れていたからだ。
・バンクスの考え(特に転換アプロ―チ)で他の国の文化の理解を深めることはとても重要である
・ビデオを見て、日本のことをちゃんとアメリカで授業で取り上げてくれているのはびっくりした。
・原爆がなぜ作られ、なぜ投下されたかは考えたことがなかった。
・アメリカからすれば戦争をやめさせるには原爆を落とすしか方法がなかったという人もいる。立場が違うだけで180度考えが変わってしまうのだ。
・多様性、多様な見方についての講義から、多文化教育を行ううえでは、一方からだけでなく視野を広く持ち、幅広い方向からの見方をすることが大切であるということがわかった。人種差別問題や戦争などの理解の仕方は国によって様々であり、その国のいいように解釈しているだけだと思った。何が悪くて何が正しいなどということではなく、現状が何なのかをきちんと伝えるべきだと考える。また原爆の映像を見て、唯一被爆国である日本では、どのように教育していくかが戦後の課題であること知り、難しい問題だと思った。私たちは原爆に対して残酷さや悲惨さなどのイメージが強いが、他方では戦争を終わらせる手段であったと考えられている。感情だけでなく、実態を理解することが大切であるのだと思った。ただ、原爆の被害を受け、苦しんだ人がいるのだということはきちんと伝えていかなくてはならない事実である。
・自分の国の教科書だけの教育ではなく、お互いの国の考えを聞いて客観的に見て自分の考えをまとめるのがよいと思った。
・私は決して戦争をすることに賛成はしない。どんな理由であれ、人殺しは人殺し.自国を守る術は戦争をしなくてもいくらでもあるはずだ。

上のリアクションに表れているように、私の授業としては珍しく(?)、学生の
理解がすすんだようだ。これは、同じテーマ(多文化教育)を3回も繰り返し扱ったこと、配布資料がよかったこと、最後に見せたNHKの多文化的な視点からの日米の原爆教育のビデオが優れていたことによるのであろう。それにしても、学生諸君が、こちらのわかってほしいポイントを的確に掴み、リアクションでそれをはっきり表明してくれるのは、教師冥利につきる。敬愛の学生もなかなか文章力がある。

人種差別について

先々週に私の敬愛の授業で外部講師の方に、講義(テーマは「国際理解教育」)をお願いした折、人種差別のことにも言及があった。
講師の方が、イギリスに滞在中に、バーガーキングでハンバーガー注文した折、1回目はアフリカン(黒人)の店員から人種差別的扱いを受けたと感じたが、2回目正装で訪れると同じ店員から丁寧な扱いを受け、人種差別ではなく、服装の問題だったという話をされた。
その話から、私は以前に読んだ藤原新也の「世にも不思議なマクドナルド」(『アメリカ』、1990収録)のエピソードを思い出した。
藤原新也がアメリカの白人地区のマクドナルドに入っていくと、「よそ者が入って来た」という西部劇のワンシーンのような冷たい視線を周囲から感じ、わずかに黒人の血の入っている白人の女店員から、何度も注文を聞き返されるという差別的な扱いを受けたというエピソードを書いている。藤原新也は、「きのうアフリカからやってきたのかな、あんた」という、差別語ぎりぎりの言葉を女店員に返し、報復している。
「街のカラーを私が乱している」「アメリカは後から入って来たヒスパニックやアジア系の人達を根本のところは歓迎していない」という興味深い考察をしている。

私も昔WISCONSINの白人地区のレストランに家族で入った時、中にいた全員からじろりと冷たい目で見られるという同じような体験をしたことがある。また、フロリダのレストランで、隣の席の白人家族が、「日本人は真珠湾攻撃という卑怯なことをしたのだから原爆で懲らしめて当然」というような話を私達に聞こえるように話しているのを聞き、いたたまれず席をたったことがある。

そこで、先週の授業では、藤原新也の文章の主要な部分を抜粋して学生読んでもらい、感想を求めた。
学生の感想は、「アメリカでそのような差別があるとは知らなかった」「アメリカに行きたくなくなった」というものが多かった。
授業者としては、もう少し人種差別の深いところを読み取ってほしかったのだが。

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教師の努力

J大学で非常勤で教職科目を教えているK先生から、今年も私語は全く見られず、90名近い学生が熱心に受講しているが、先週の授業でビデオを見せた時、学生が2人並んでガバッと寝ているという状況がありとても驚いた、というメールをいただいた。
K先生の授業は準備も万端で、学生にも定評があり、このような学生が少数でも出るというのはあまりないことで、先生も驚かれたたことであろう。
「特にその時には注意はしていませんが、後で考えて、教職の科目ですからそのまま放置するのはまずいかなあと考えています。もちろん一般的な注意になると思いますが、」と先生の対応は丁寧であり、教えられることが多い。
一方、私の授業と言えば、準備にかける時間や意気込みは、K先生比べものにならないほど短く低いとはいえ、自分では興味深いと思う内容の講義やビデオを見せても、私語はあるし、ビデオが映っている時間、学生が顔をあげている割合は半分に満たない。(ただ、宮崎駿の「千と千尋の神隠し」のビデオの時は9割方見ていた)。
7・5・3という言葉があったように思う。それは児童・生徒が学習内容を理解する程度で、小学生7割、中学生3割、高校生3割というものである。
児童・生徒・学生が、授業に打ち込む(聞いている)割合はどの程度なのであろうか。特に、大学の授業はどうなのであろうか。もちろん、教師による、学生によるということであろうが、平均するとどの程度になるのであろうか。
K先生はJ大学(偏差値60以上)で、多くの学生が自分の授業にひきつけられることを期待し、事実それに近い授業を展開されているわけであるが、私の場合は、人(学生)それぞれであるし、せいぜい20%(多くて30%)くらいの学生が興味をもってくれればいいやくらいの気持ちで授業をしているような気がする。この点は、K先生を見習い、私の努力が必要な気がする。
K先生より「『3/4の法則』というのがあります。興味を持たせる、理解をさせるなどの目標として、1/4より2/4、2/4より3/4を目指しますが、3/4くらいが限度ではないかということです。」ということを聞いている。
学生の4分の3までは、教師の努力によって、関心や理解に持って行くことができるというのである。このような心意気こそ、教師が誰もが持たねばならないことであろう。