昨日(10月31日)は、ハロウイーン。何の日なのかよくよくわからないが、子どもたちが仮想して近所を回ると、お菓子がもらえる日という印象が私の中にある(これは、以前に家族でアメリカに滞在した時、子ども達が経験したことによる)。
とにかく日本的に楽しめばいいのではないか。娘の家族は、国際的な交流を目的とした子どもたちのハロウイーンパティーが近くであり、それに参加して、楽しんできたようである。
私は、妹たちが市原[ちはら台]で、フリーマーケトに出店するというので、販売の手伝いはできなかったが、ハロウイーンのお菓子を用意し、通りかかった子どもたちに持っていってもらった。販売には全く寄与しなかったが。
天使人語に、ハロウイーンの由来が書かれていたので、転載する。
(天声人語)ハロウィーン日本流 (11月1日)
アイルランドの言い伝えでは妖精や幽霊、魔物はありふれた存在である。この国の詩人イエーツは、そんな不思議な者たちとの付き合い方をこう説いた。両手を広げて迎えよう。消え失せろ、などと言わずにもてなせば、「それほど悪い目にあわないのではないだろうか」(「ケルトの薄明」井村君江訳)▼異界を抵抗なく受け入れログイン前の続きる文化に、ハロウィーンの源流がある。死者が帰って来ると言われる収穫期、幽霊に変装して仲間のふりをし、食べ物を供えた。19世紀に移民を通じて米国に伝わり、盛んになった▼それがここ数年、日本でにわかに広がっている。今年の市場規模はバレンタインに迫るとも伝えられる。不気味に笑うカボチャの橙色(だいだいいろ)は、すっかり季節の色になった▼もっとも楽しみ方は本場とやや違うようだ。欧米では主に子供の行事で、近所を歩いてお菓子をもらう。加えて日本流は、大人もはしゃぐ▼宗教社会学者の石井研士(けんじ)さんによると、戦後定着した行事には社会の変化が映し出されている。クリスマスは、台頭した核家族が幸せを確かめる機会になった。バレンタインの流行は、女性が消費の担い手として現れたのと軌を一にする。ハロウィーンはどうだろう▼本番だった昨日、都内で目にしたのは、さながら路上仮装大会だった。魔物やヒーローに扮した彼らが言うには、自分ではない何者かになれるし、変身した者どうしの一体感が得られる。お手軽に使える魔法の力。それを時代が欲しているのだろうか。