近所の散歩

昨日から家族が皆、宮古島に旅行に行ってしまい(下記写真)、

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私は犬(ソフィー)と留守番。

犬とふたり(ひとりと一匹)の暮らしの人の気持ちが少しわかる。(「それも悪くない」などとは言わない)

退屈で、少し遠出の散歩(いつも5分以内だが今日はもう少し先まで)バラを探したが、近くの新興住宅地もバラは少なく、ツツジやアヤメ、それに野の花がきれい。

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近所のバラ

以前に市原ちはら台の母の家の近くの新興住宅地を散歩すると、庭一面色とりどりのバラを咲かせている家が何軒かあり、そこを廻る楽しみがあった。ただ、バラは日頃の手入れが大変なせいであろう、それらはだんだん消滅して、今は1軒残っているのみである。住んでいる人が若くないと、バラの手入れはできないのかもしれない。 

人の趣向は、年齢と共に、「花」→「盆栽」→「石」と移って行くと、聞いたことがある。逆に言うと、まだ「花」に関心があるうちは、若さが残っているということであろう。「石」に関心が向いた時は気を付けた方がいい。

住宅が出来てから半世紀は経つうちの近所は年寄りが多く、きれいなバラの庭園を持つ家はないが、それぞれ2〜3本のバラを植えている家が多い。うちの隣の家の庭のバラの写真を撮らせてもらった。

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浅草の歴史散歩

歴史に通じていると散歩や観光が、とても豊かなものになるであろう。知り合いのMさんが、今日は浅草の歴史散歩をした報告を送って下さった。とても優雅で文化の香りがする散歩だと感心した次第。その一部を転載させていただく。 

 

浅草探訪は11時雷門集合、待乳山聖天⇒今戸神社⇒(昼食)⇒吉原⇒山谷⇒三ノ輪(都電荒川線)⇒17時王子というコースでした。

人でごった返している浅草寺の観光客の大半は中国人ですが、中にはマレーシア人やラテン系の団体も見られました。早々に人混みから逃れて待乳山聖天に向いました。司馬遼太郎の「峠」の情景ですが、河井継之助が待乳山聖天からの眺望を楽しんでいた時、吉原方面に上がった煙を見て、馴染みの太夫の所に裸足で一気に待乳山を駆け下りるというシーンを思い出し、血の気が多く、情の深い、生身の継之助を感じました。

次は今戸神社です。同じく司馬遼太郎の「胡蝶之夢」からですが、この神社は上野戦争の時に戦傷者が運び込まれました。長崎でオランダ医師ポンペに西洋医学を学んだ松本良順が修羅のごとく怪我人を治療している姿を想像しました。ここはまた縁結びの神社で多くの若い女性が願いことをしていました。現代女性の憧れの的であるという新撰組の沖田総司が最期を迎えた地であることも面白い縁だと思います。

隅田川から吉原に向かう山谷掘が埋められ遊歩道になっています。見返りの柳を鑑賞し大門に向かいました。吉原では河合継之助が通った茶屋と遊郭を訪ねましたが、茶屋は交番、遊郭はホテルになっていました。吉原の区画はほぼ江戸時代のままで風俗店が軒を並べていました。「お歯黒どぶ」の跡では、吉原に売られ苦界に身を沈めた女郎が火事に遭い「どぶ」に妨げられて死んでいった怨念を想いました。

その後、樋口一葉記念館を経由して山谷に向かいました。労働福祉センターあたりに路上生活者がいましたが、外人向けの宿泊所が増え、時代の変化を感じました。三ノ輪から都電荒川線に乗り王子に行きました。王子で一日の旅を語り合いました

 

 

 

 

経験より読書

 教員を目指す学生から「豊かな人間性を身に付けるのにはどうしたらいいんですか? 私はいろいろな人とのコミュニケーションを取ることだと思いますが、先生はどう思いますか?」と聞かれた。

 教員採用の条件に「豊かな人間性」という言葉があるのかもしれない。自分は「豊かな人間性」を目指したことがないので、その質問に戸惑った。

 また、今の学生にとって、人とのコミュニケーションや経験が自分を豊かにするものとして認識しているらしいことに、時代の差も感じた。我々の世代では、「豊かな人間性」と言えば、即読書を上げることであろう。

 今学生の周囲にいる人には、偉大な人はいないであろうし、また偉い人がいたとしても、未熟な学生とのコミュニケーションではその人の最良のものを引き出せないことであろう。それよりも「偉大な人」が書いた書物を読み、そこから様々なことを読み取る方が、「豊かな人間性」を形成するのに役立つのではないか。

 そのようなことを学生に答えたが、わかって貰えたかどうか疑問である.怪訝な顔をされた。学生たちは、直接経験こそ学びの中心であり、読書や大学の講義はあまり重要なもの、役立つものと思っていないのではないか。

 昔勤めていた武蔵大学の日本文化学科の瀬田教授が、就職が決まっていたにもかかわらず卒論が不出来で落とした学生に、「卒論を書くということは、古今東西の優れた歴史上の人物と『対話』することであり、そのことは現実経験を積むこと以上に大切だということをわかってほしい。その為にあなたの卒論を不可とする」と言っていたのを、今思い出す。 

高橋源一郎は朝日新聞の「論壇時評」(2015430日)で、「根本的に考えるために」という題で、次のような2つの大学の学長の入学式祝辞を紹介している。

「大学はものごとを根源まで遡って考える場所であり、もしそのような場所が、社会の至るところにあるのであれば、大学は不要でしょう」(立教大学総長・吉岡知哉の祝辞)

 「現実社会は、短期的な成果を上げることに追いかけられ、激しく変化する経済活動の嵐の中で、目の前のことしか見えません。これまでの経験が通用しなくなっている今ほど、大学における自由な探求が重要な意味を持っている時はないと思います」(前東京造形大学学長・諏訪敦彦の祝辞)

今の時代、経験より読書、と私も言いたい。

「大2プロブレム」

「小1プロブレム」とか「中1プロブレム」という言葉がある。その学年が他の学年に比較して、学校への適応やもろもろのことで問題あるということであろう。

大学の場合は、どうであろう。「大1プロブレム」ということがあるのであろうか。昔は、大学生の「5月病」のようなことが言われた。大学受験の目標を達成した後の目標を失った虚脱感のようなものである。今は大学受験がそのような超えるべき目標になっていないので、「5月病」ということを聞かないように思う。

ただ最近は、「初年次教育」の必要性は言われている。高校までの教育と大学の教育は違う。その大学での学びや生活に適応できるように大学がさまざまな対策を取る必要があるということである。つまり「大1プロブレム」があるということであろう。

私は、それより「大2プロブレム」があるように思う。それは、大学生活に慣れてきた大学2年生が、ダレてしまう現象である。1年生の時は新しい環境に慣れようとする緊張感があり、3年生になると先の就職のことを考え気持ちを引き締めようとするのに対して、大学2年生は、その狭間にあり、緊張感もなくぼんやりと弛緩して大学生活を過ごす傾向である。

 これは、2年生と対象にした講義やゼミを担当している時に感じることである。なかなか教科書を揃えなかったり、読んでくるように指示した本を読んでこなかったり、発表をいい加減にやってそれで済ませようとする学生が2年生に多いように思う。

 このようなことが、量的データでも言えるのか、我々の大学生調査のデータでも確かめてみたい(浜島幸司氏が、報告書の2章で、学年差の分析も詳細にしている。)https://www.takeuchikiyoshi.com/wp-content/uploads/2011/12/24531072.pdf

 ただ、大学生として勉強以外にやりたいことが山のようにあり、勉強どころではないということなのかもしれない。教員からの指示を無視や無化して、自分の好きなことに多くの時間を費やすことは、青年期の自立形成には必要なことなので、この傾向を一概に非難できない。

 昨日、敬愛のこども学科の3年生に「大2プロブレム」のようなことがあるのか聞いてみたら、「自分たちは2年生の時、たくさんの必修科目があり大変だったので、遊ぶ余裕はなかった。かえって、3年生の方がのんびりしている」という答えが返ってきた。

少し学年差について、検討してみたい。学科によっても違い、1学期と2学期でも違っていることであろう。