新緑の季節―公園に鯉のぼり

今日(12日)は、朝から天気がよく、ピクニック日和。
投票を済ませた後、お弁当を持って、近くの公園へ。
公園ではもう、鯉のぼりが上がっていた。5月の子どもの日、ゴールデンウイークはもうすぐ。
新緑で、1年の一番いい季節に何をしよう。

放送大学の院生の研究テーマ

昨日(11日)は、放送大学の岡崎研究室の修士論文の中間報告会があり、出席して、報告を聞かせてもらった。院生は皆職業を持ちながら、修士論文を書こうとする意欲の高い人ばかりであり、その研究テーマはいまの職業に関連することが多く、興味深い。

 看護専門学校で教員している院生は、看護学校に入ってきている発達障がいの学生をどのように指導していったらいいのか、というテーマ。
 歯科技工分野の教員の院生は、そのインスツメントの持ち方がおかしい学生を、箸の持ち方から指導して、矯正していく方法の研究。
 学校で養護教諭をしている院生は、いかに地域保健と連携して、児童生徒の保健指導を行っていくかの実践的研究。
 中国の大学で長く日本語を教えてきた院生は、中国の学生の就職難を見て、中国の大学で就職支援・キャリア支援をどのように行えばいいのかという問題意識を持ち、日本やアメリカの大学のキャリア支援の歴史も調べ、それぞれの国の大学や学生事情から、その方策を探る研究。
 小学校の教員の院生は、新聞(NIE)を使っての「PISA型読解力を向上させる指導法の研究」。
 同じく小学校教員の院生は、家庭的に恵まれない子どもを学校や教師がいかに支援していくかの研究。優れた事例から学び、実際関係する学校での取り組みも検証する研究。
 公民館活動に参加経験のある院生は、公民館の「話し合い学習」が、現代的「市民的公共性」を養成するうえでいかに有効かの研究。それには①「親密圏」の両義性(現代的意義と閉鎖性)、②「市民的公共性」のアポリア(合意形成か多様性の創出か)の問題があるという。「企画運営会議」に市民を募り、その企画に基づいた「話し合い学習」(テーマは、たとえば「働くことの意義」)を外に開かれた新しいメンバー(企画者もメンバーの一人として参加))が開かれ、上記の両義性やアポリアを乗り越えていく試み。

 自分の職業体験からくる問題意識には、確かなものがあり、教えられることが多い。

大学も新学期始まる

大学の授業は今週から始まり、今日(9日)の授業で一周した。
はじめての学生との出会いは、いつも緊張する。
前期は、敬愛大学で1年生のゼミ(16名)と2年生のゼミ(12名)、それに「こどもと地域の教育論」(2年生以上選択科目、20名くらい)と「教育原論」(1年生103名)がある。
ゼミや「教育原論」で自己紹介をしてもらったが、敬愛大学のこども学科の学生は、子ども好きな子が多く、将来は小学校教員になりたいという夢(熱い思い)を語る子が多い。高校時代まで野球ばかりやってきた子、サッカー好きで審判のライセンスをもっている子、ゲーム大好きな子、アイドルをやっている子など様々だが、皆一様に明るい。でも1年生の中には、まだ「孤独を楽しんでいる」(?)子もいて、少し注意して見守らなければいけないと感じた。

今日は非常勤で行っている神田外語大学の初日の授業(「教育社会学」)では、いきなりドジを踏んだ。
いつもの2時限の始まる11時過ぎに教室の廊下を歩いていて何かおかしい雰囲気を感じた。廊下から中が覗ける他の授業が、皆もう授業たけなわという感じ。自分の教室のドアを開ける直前に、神田外語大学の授業の開始時間が今年から早まったことを思い出した。教室には50人近くの学生が20分以上私を待ち受けていた。20分も教師が来なくて誰も帰った人がいないという(その真面目さにもびっくり)。
学生に平謝りで、教育社会学とは何かを一生懸命しゃべり、終了時間より30分早く終わった。(「教育社会学」は、「教育行政」と並ぶ、教育免許取得の為の必修選択科目。教職の免許の為にこの科目を受講する学生にとって、教育社会学の学問的性格など、どうでもいい話だと知りながら、熱を入れて語ってしまった。受講する学生が少し減るかもしれない)
神田外語は、幕張メッセの近くにあり、広々とした敷地で、開放感がある。学生も明るい。

桜散る2

今日(9日)は、天気がよかったので、近くの公園へ、2歳半の子どもとソフィーの散歩。
散った桜の花びらがきれい。

本(文章)の力

本(文章)の力(影響力)は大きい。藤原新也のCat Walk(会員制ブログ)には、下記の投稿が寄せられている。
 
 <若い頃から船長(藤原新也のこと―引用者注)の本に自分の人生が揺さぶられて続けてきました。10代の頃に読んだ『東京漂流』がなければ今の人生はありません。芸術の大学に行き、その後中米に住みつき、写真を撮り、、(以下略) >(C.Kさん)

書いた本(文章)が人の人生に影響を与えるというのは、すごい。文筆家の冥利につきることであろう。
もっとも、藤原新也の場合、文章だけでなく、その生き様(ざま)が人に影響を与えているのかもしれないが。