防災教育研究集会

知り合いの先生から、下記の教育研究集会の案内をいただいたので、掲載する。

神奈川県の学校防災教育研究集会
○開催日時:1月31日(土)13:30~16:30
○会場:会場:鎌倉商工会議所ホール
〒248-0012 鎌倉市御成町17-29  TEL 0467-23-2561(代表)
○内容
この度、学校防災に係る研究集会を開催し、神奈川県下で学校防災に熱心に取り組んでおられる方々からの活動報告や大学・研究機関の研究者などによる学校防災教育支援活動の現状と課題を発表していただくことになりました。現在行っている神奈川県下の私立学校のアンケート調査結果や、鎌倉市内の津波危険地区における調査報告を行うなかで、学校防災教育の課題や地域との連携課題等も併せて討議したいと考えています。
今後の神奈川県の学校防災教育に役立てていただくため、ぜひご参加ください。
〒248-0012 鎌倉市御成町17-29  TEL 0467-23-2561(代表)/FAX 0467-25-0900
問い合わせ・申込み:防災・情報研究所 e-mail:idpis@idpis.co.jp

教職概論(2014年度・後期)まとめ           

1 教職概論は、文字通り教職に関して、その概要を学ぶ分野である。

2 それは、学校の教師になる(教職に就く)為に必要な内容(知識)であり、同時に、教職や教育に関わる人(教育委員会、教育関係者、親等)にとっても必要な知識(教養)である。

3 教員採用試験の「教職教養」の分野において、「憲法」「教育原理(論)」「教育課程」「教育行政」「教育心理学」等と並んで、この分野からも出題される。

4 教職は、私的な塾やお稽古の教師などとは違い、公(国家)が認定した教員資格であり、公〔国家〕の定める法律(憲法、教育基本法、学校教育法、他)に基づいた職務行動が要求される。教職に関連するこれらの法規に関する理解が求められる。

5 教員採用試験は、都道府県ごとに行われる。求められる教員像に関しては、国(文部科学省、中教審答申等)が提示するものと、さらにそれを具体化し、地域に実情に合わせた各都道府県の教育委員会の提示するものがある。教員採用試験を受けるものは、文部科学省や各都道府県の教育委員会のHPなどで調べ、理解しておく必要がある(東京都教育委員会のように冊子を発行しているところもあるー配布済み)

6 教員の児童・生徒に対する指導には、大きく教科指導と生徒指導の2つががある。前者の為に、教師は、各教科の知識と指導法を身につけ、児童・生徒が各教科を十分に学べるような実力を身につけなければならない。また後者の為に、教師は、児童・生徒の模範となり、児童。生徒の社会化に寄与するような人格、行動様式、教育技術(コミニュケーション力、集団力学等)を身につけなければならない。

7 教師(教職に就く多く人)は、学校という公の組織に属し、その組織の規則に従い行動することが期待される。したがって、教育委員会の仕組みや管理職の権限、校務分掌等の学校組織の特質を理解しておくことが必要である。また、学校組織の中で、組織人として生きる人間関係能力も養う必要がある。後者に関しては、大学での様々な体験(キャンパスライフ)が役立つであろう。

8 学校は地域社会の中にあって、地域の人や児童・生徒の親との関係も大切である。教師は社会性を身につけ、常識ある行動をとる必要がある。「モンスターペアレンツ」の出現に対しては、適切な知識と技術を持って対処する必要がある。

9 教員採用試験に受かり教職に着けば、後は自動的に教師としての仕事が遂行できるわけではない、教師は学び続け、知識や技術の向上をめざさなければならない。教師の研修制度が公に用意されている。自己研修も大事である。

10 教職には、フォーマルな側面だけでなく、インフォーマル側面もある。それは、教育目標があいまいで、具体的な教育現場は、教師の自由裁量に任される部分も多いせいでもある。教師の人柄や思想や力量や考え方によって、実際の教育や指導が違っている。教師の人柄や実力が問われる所以である。

11 教育や教職には長い歴史がある。古今東西の教育思想、教育理論、教育実践、過去の教師像に学び自分の教師としての力量や深さや幅を広げる必要がある。

12 教師を描いた文芸作品やマンガなど、そこから学べることも多くある。教師の隠れた側面やホンネ部分を暴露し、教師とは何かを、根底から考える材料になる。(「二十四の瞳」「GTO」「ハレンチ学園」他)

13 外国の教育や教師のあり方、あるいは教育方法を知り、日本のそれと比較することは、教育や教師に関する知識や知見を深めることになる(比較教育的視点)。また、現代のグローバル化した社会においた、教育の国際化、異文化間接触は進んでいる。多文化教育、異文化間教育の視点を学び、海外子女問題、帰国子女問題、ニュカマーの教育などに対処する必要がある。

14 情報化社会の中で、情報機器の適切な取り扱いのできる教師が求められている。デジタル教科書、インターネット、ケータイの取り扱いが問われている。

15 社会規範の揺れ動く時代にあって、教師の道徳意識、マナ―意識は大事になっている。児童。生徒の模範となると同時に、その指導が大切になっている。

16 教育は、政治、経済、社会、文化、科学など様々な分野と密接な関係がある。 教育とそれらの分野との関係を日頃から学び、視野を広げることは教師として必要である。児童・生徒は、教師の広い視野から学び、社会化される。
  このように、教職には、幅広い知識と技術と実践力が要求される。

成績評価の付け方の迷い

成績評価の仕方で迷うことがある。
 たとえば、授業前に70の実力の人が授業後の試験で80点取った人(A)の評価を80点と付けたとき、授業前に50の実力の人が授業後の試験で70点取った人(B)の評価を何点と付ければいいのだろうか? 通常は、授業前の実力を測ることをしないので、Bは70点となるであろう。
 しかし、TOFLEの点数を上げる授業が行われたとして、Aは700点から800点に100点上昇し、Bは500点から700点へ200点上昇したとすると、同じように評価していいものなのかどうか。
 上昇点数の意味が上の方と中下では違うという考えもあり、最後の点数で評価すればいいという考えもあるだろう。点数だけでなく、授業中の態度や勉強ぶりを評価しBの評価を上げるという方法もあるかもしれない(しかし、それもAとBで同じであったらどうであろうか。)
 

若いシンガーソング・ライター

 以前にこのブログでも紹介したことがあるが、将来が楽しみな若いシンガーソング・ライターがいる。
 吉田 仁 君 (神田外語大学2年生)
 とにかく、若さの屈託のなさ、さわやかさ、明るさがいい。
 尾崎豊にあこがれ、いろいろなことを経験した中・高時代あったということであるが、その経験を乗り越えた、前向きの姿勢を感じる。
 今日の私の神田外語の授業(「教育社会学」)でも、さわやかないいプレゼン(発表)をしてくれた。
 昨日、新しいPVをyoutube にアップしたという。
  https://www.youtube.com/watch?v=ivorBtviI7w
(1日で300近いアクセスがあり、応援するファンがたくさんいることを感じる)。

動詞構文で書く

大学受験の時の苦手だなと思っていた教科に関連することは、その後も敬遠してしまう傾向がある。私の場合、国語に関する苦手意識があり(なかなか、国語は(も?)試験でいい点が取れなかった)、その後言語あるいは言語学に関することは、スルー(敬遠)してきた。
でも、言語を社会や文化と結びつけて見る見方は、面白いかもしれないと思う。そのことを、昔読んだ本(作田啓一⁺多田道太郎『動詞人間学』講談社現代新書、昭和50年)再読して感じた。次のような、ことが書かれている(190〜201頁)。
 
 ・動詞が言語体系のなかで占める位置は、法律体系のなかでの刑法の位置に似ている。殺人、窃盗、誘拐、詐欺などの、犯罪と呼ばれる行為の種類は、民法上の権利義務のいちじるしい変化に比べると、相対的に固定している。
 (動詞は社会が変化してもあまり変わらない。それに対して名詞は社会の変化ととともに変わる。同様に、世の中には変化しにくいものと,変化しにくいものがある―武内)

・日本語の動詞は対象や状況によって強い拘束を受けない。(フランス語に近い。英語はその対極)たとえば、移動によって超えるものが川、海、廊下、世間、時間そのほか何であろうと、すべて「わたる」という1つの動詞が用いられる。
 (そのため、日本では、掛け言葉が発達した)。

・ヨーロッパの諸言語(とりわけ英語)では文章が名詞中心であるのに対し、日本語においては動詞が中心になっているという興味深い比較がある。そのちがいのために、邦訳のさいには名詞中心の構文を動詞中心の構文に変えなければならない。たとえば、「この事実の認識が問題の解決に貢献する」というのは名詞構文なら、「これがわかれば問題はすっと解決しやすくなる」とするのが動詞構文である(外山滋比古『日本語の論理』中央公論社)」。

 これらを読んで、欧米語を日本語に翻訳の際に、このようなこと(名詞構文を動詞構文に変える)ということが意識されているのであろうか疑問に思った。
 とりわけ、人文科学や社会科学の分野の翻訳が、読みにくいのは、名詞構文をそのまま直訳して、読みにくくなっているのかもしれないと思った。これでは、日本語のセンスのある人が、翻訳本を読まなくなってしまう。(文学は、そのようなことはないと思うが)。
 ただ、私(達)は、今、動詞構文が中心で文章を書いているのであろうか?