今日(3日)の朝ドラで、時流(=権力)に対する態度が、花子と蓮子で違い、二人の友情は破綻するようなストリーであった。
時の権力(=時流)に、どのような姿勢を貫くかは、個人だけでなく大学にも問われている。
政府の教育方針に、大学がどのような姿勢をしますのか。文部科学省の方針に従順に従うのか、それとも大学独自の道を行くのか(後者の場合、現代でも、競争資金はもらえず、補助金などを削減されるような憂き目に合うことはある。)
過去の例で、昭和1ケタの時代(昭和7~8年)に、カトリックの大学の上智大学の学生が、学校軍事教練で、靖国神社礼拝を拒否し、陸軍省が怒って、配属将校を引き揚げさせ、上智大学の「幹部候補生資格と在学年限短縮の二大恩典を剥奪する」という措置を講じようとした事件があった。
その様子は、詳細な資料とともに、『上智大学史資料集〈第3集〉1928~1948 (1985年)』に、記録が残されている。
それに対する評価は、「上智大学はこの事件で存亡の危機に瀕したが、結局、全面屈服と引き換えに危機を逃れた。学長以下全校謹慎したうえ、学長・神父・学生がこぞって靖国神社に参拝した」(高橋哲哉「靖国問題」ちくま新書2005年、P.132~133)などと、評されている。
しかし、資料集を読むと、少しニュアンスが違って読める。表面的には、時の権力(時流)に屈したように見えるが、そこには、学生を守り、大学を存続させようとした大学執行部の苦渋の選択の跡がみられる。(この事件が、その後の上智大学の、時流(権力)に対する姿勢にどのような影響を与えたのか興味深い。)
時流に屈したように見える花子が、今後どのようになるのか、見守りたい。