9月末の御宿海岸

9月最後の日曜日(28日)、千葉外房の御宿海岸は、台風の余波で、波が高く、怖いほどであった。
それでも、ライフセービングの大会が開かれていて、20近くの大学のテントが並び、競技が行われていた。

伊勢えびも、生きたままのものが販売されたいた。あまりの大きさ・立派さに、伊勢えびを水槽で飼うことができたら、どんなに素敵だろうかと思った。そんな贅沢をできる人はいないのであろう。
海岸には、ウミガメの巣もあり、それが孵る時が見られたら、感動ものであろう。
海や砂浜は犬(ソフイー)ならずとも、楽しいことが多い。

持続可能な開発のための教育(ESD)について

 教育実習で訪問した小学校が、「ユネスコ協同学校」に登録していてESD(Education for Sustainable Development=持続可能な開発のための教育)を実践している学校であった。

(ESDに関しては、 文部科学省がこの理論(運動)を推奨している. 概要は下記を参照。
 http://www.mext.go.jp/unesco/004/1339970.htm)

 そこでいただいた『未来をつくる教育ESDのすすめ』(多田孝志・手島利夫・石田好広、日本標準ブックレット、2008)を読むと、このESDが、教科の枠を超えた教育の実践には大変有効な理念や方法であることがわかる。
 未来指向性、知的理解から主体的行動力へ、関係性ー社会・人や自然との調和、多様性、変化への対応力、寛容性、開放性、推察・イメージ・響感力、多文化リテラシーなどが、学校教育で育むべき資質・能力や技能として、列挙されている。

 この内容からすると、かなり「多文化教育」と近いと思えるが、現場性と身体性を重視している点は、ESDの方が顕著であり、教育現場で使える理論と方法であると思う。
 
 ただ、社会の利害関係や権力関係や階層性(格差問題、貧困問題)への言及が少ないように思われる。理想を高く掲げているが、実際の社会や学校の現実をリアルに見ているのかどうかわからない。検証してみたい。

今の病院

母が病院に入院して、それに付き添い、今の病院の様子を知ることが出来た。昔の病院とかなり違っている。
1 病院がとてもきれいに、明るくなっている。
2 「入院セット」というものがあり、パジャマから何でも、入院に必要なものをすべて、頼めば病院で揃えてくれる。
3 食事がおいしい。(こっそり味見した)
4 完全看護で、付き添いなしで、すべて病院でやってくれる。
5 看護士(婦)の仕事を見ていると、コンピューターに向かっている時間がかなりあり、記録づくりに(?)忙しい。その分、患者との接触時間は少なくなる。
 
一つの病院のことからの感想なので一般化するのは無理かもしれないが、確実に医療の世界は変化していると思う。
それが患者や患者の家族にとって、どのような意味をもつのか、これから確かめてみたい。

夜のテニス(9月25日)

いろいろ疲れやストレスが溜まっているので、運動して体をほぐたいと思った。それで、テニスをすることにした。とはいっても、テニスクラブに入っているわけではなく、テニスをする仲間がいるわけでもないので、登録しているテニススクールのレッスンを受けた。
思い立ってレッスンの申し込みをしたのが夜の21時15分。10分で支度し、近くのダイエーモールの4階にあるSスポーツセンターへ自転車で猛ダッシュ。21時40分からのレッスンに間に合う(23時10分まで1時間半のレッスン)。
コーチはイケメンの若い青年で、テニスもうまく、教え方も丁寧。男性にも女性にも人気で、受講生は多い(今日は私を含め8名)。しかしコーチが次々出してくるボールに、休む間もなく打ち返さねばならず、かなりの運動量。。後半は、試合形式の練習。私は久しぶりのテニスにミスが目立ち、もう少し頻繁に通わねばと反省した次第。
レッスン終了後は、スポーツクラブのスパ・温泉に入り、疲れを取る。サウナもジャグジーバスもあり、体がほぐれる。
それから家に帰ると24時。明日の2時限に授業がある。早く寝なければ。このようなブログを書いている場合ではない。

ツキ(付き)がない

このところ私の周囲で、あまりいいことが起きていない。(今日も目の前で、バスと電車が行ってしまい、予定変更を余儀なくされた)
言ってみれば、「ツキがなくなっている」あるいは、「運に見放されている」。
このような時は、つい落ち込んで、いろいろなことを悪い方に考え、閉じこもりがちである。
でも、このような時こそ、発想の転換が必要なのかもしれない。

Mさんからは、次のようなメールをいただいている。
<ツキは漢字で「付き(附き)」と表記し、意味として広辞苑では「よい巡り合わせ・幸運」、ウィキペディアでは「人間の力ではどうしようもない幸・不幸を支配する要素」とあります。その多くは儒教とか仏教を背景にしています。
ツキに関して取り上げたい諺は「運不運は紙一重 諦めは心の養生 犬も歩けば棒に当たる 果報は寝て待て」などです。「なるようにしかならないのが人生」です。
気持が落ち込んだ時、行為としては「人事を尽くして天命を待つ」、期待感としては「天網恢恢疎にして漏らさず」「地獄で仏」などの諺を思い浮かべ、浮上するのを待つしかないと思います。>

藤原新也は、次のように書いている。
<逆転の発想というものは私の旅の中で身についた癖のようなものであり(いやそうでないと旅は続かないということもある)、今でもなにか身の回りに障害やマイナスなことが起きると、妙にわくわくしたりする。
物事は変化、変転する。
かりに福というものが変転すると不幸に変転するしかなく、不幸というものは福に変転する”可能性”があるということだ。>

「人事を尽くして天命を待つ」や「逆転の発想」で、この「難局」を乗り切りたい。