実家の市原(ちはら台)で、母の車いすを押しながら散歩する時の楽しみの一つは、季節の花々である。それは、それぞれの家の植木であったり、野の花であったりする。
季節季節で、輝いている花が違う。つまり主役は交代する。
(車椅子を押していると、女子中学生に挨拶されたりする。それにしても、他に車椅子を押している家族を見ることがほとんどない。この地区は老人は多いはずなのに。なぜなのか不思議である。)
インターネットの時代になると、若者は外国への旅をしなくなるのであろうか。
実際に現地に行かなくても、インターネットで現地の情報も映像も十分に且つリアルに得られるので、それで事足りてしまうし、満足も得られる。
千葉にある敬愛大学の学生が、地元大好きで、東京へもあまり行かないし、ましてや外国に行こうともしない、しかしスマホ大好きなのを見て、そのような感を強くする。
そういう私も、昔、外国の映画を見て、外国に行った気分になり、それだけでなく外国人の主人公に同一視することにより、その心情まで理解できたつもりでいた。
藤原新也は、外国を旅する意味について次のように指摘する。
「旅とは絶対的な他者と出会うことであり、時にそれは殺意すら覚える他者であるかも知れないんだ。」
自分を安全な場所に置いて、自分に都合のいい情報ばかり集めるインターネットサーファーは、異文化体験はしていないと言っていいであろう。
ここしばらく、疲れているのか、ブログに文章を書く気が起こらない。
でも、何の疲れなのかよくわからない。学会の大会の開催の疲れなのか、学期末の疲れなのか(新学期には新鮮だった学生との関係も、お互いに4か月もするとマンネリ化して、疲れが出て来る。また学期末は毎週のリアクションを整理し学生に返却し、試験問題を考えなくてはならない等)、夏の暑さの疲れなのか(台風が来たり、豪雨があったり、蒸し暑い日が続いたりしている)、親の介護の疲れなのか、歳のせいなのか、あるいは別に原因があるのか。
とにかく、美味しいものを食べ、よく眠り、運動をして、気になっている仕事を片付け、のんびりするのが一番と思っている。