バラの季節が終わり、次は何の花が美しい季節なのであろうか。
実家の隣の家の塀の外には、キスゲが咲いている。 軽井沢ものを移植したという。
昔、夏に霧ヶ峰で見た、日光キスゲより大ぶりな感じがする。
暑くなった千葉で、高原のさわやかな風を感じた。
昨日(5月30日)のNHKテレビで、「レンタル フレンド」のことを扱っていて、友人の価値について考えさせられた。
普通の人にとって、友人(異性の友人も含む)は空気のような存在なので、その大切さを自覚しないし、それに価値があるとか考えない。しかし、とても貴重なもので、それをお金で買おうとするとかなりの高額になる。
世の中には、置かれた事情や生来の性格から友人が得られない人がいる。また、人はいつそのような状況に陥るのかわからない(村上春樹『女のいない男たち』参照)。それを考えると、今いる友人や友人関係を大事にしなくてはいけないと思う。
番組では、今友人のいない人、友人を求めている人に、「レンタル フレンド」を紹介する会社があること、そこに頼むと、友人をレンタルで貸してくれることを、事例をまじえて取り上げていた。
おたく系の若い男性(30代半ばくらい)が、キャッチボールをしながら、話し相手になってくれる女性をレンタルして、楽しそうに1時間を過ごすことができていた。料金は1万8千円。彼にとって、1万8千円は、「ガールフレンド」と1時間一緒に過ごせることを考えれば、高くない(最後に握手までしてくれている)。
60歳代の男性(妻を亡くし、91歳の母親を一人介護する日々を過ごしている)が、月に1度、母親がデイサービスに行っている昼間、一緒に海を見に行ってくれる女性をレンタルして、いろいろ悩みも聞いてもらい、満足げであった。料金は4万8千円。
相手をしてくれる人は、友人のように親身に話を聞いてくれ、レンタルした人に、心理的満足感を与えてくれる。その心理的満足への代償[支払]が、金額にすると1万8千円だったり、4万8千円だったりする。
「感情労働」というものがあるということであろうが、心理的奉仕に関して、支払われるものは、意外と高額である。(結婚や家族というものは、その高額の最たるものかもしれないが。)
この番組を見て、身の回りにある友人関係を大切にしたい、友人たちに感謝しなければいけないと思った。友人たちから多大な心理的慰めを受けている私は、一緒に食事をしたり飲んだりした時、割り勘ではなく、おごらなければいけないのかもしれないと思った。(学生も、私にとっては、友人のようなものである)
人から本を贈られるとうれしい反面、少し困惑する。その心情を書いておこう。
第1に、純粋にうれしい。本を買わなくていいし、苦労せずに本が手に入り、いつでも読める。その人が自分のことを気にかけてくれたこともうれしい。
第2に、でも、本を贈ってくれた人に、借りができたようで、少し居心地が悪い。
第3に、さらに、本の礼状を書かなくてはならないことを思うと、気が重い。今は、メールで礼状を書けばいいが、それでも少し読んだ感想も書かなければならない。忙しくて、送られた本を読む暇などない。手紙やはがきで礼状を書くのはさらに大変。「これからゆっくり読みます」とメールで送るのがせいぜい。
第4に、自分と同世代や若い人から本を贈られると、自分のまとまらない研究のことを思い、くやしく、心穏やかでいられない。
このように、人に本を送る行為は、送られたものに心理的ストレスを与えるので、なるべくやめた方がいい。
本は読みたい人が、読みたい時に、買えばいいのだから。
大学の紀要に書いた論文は、本人とせいぜいあと2〜3人が読むだけと聞いたことがある。それを本でしても、読む人はせいぜいその倍、つまり10人くらいではないだろうか。
それでも人に本を送るときは、自己満足と考え、礼状をもらうことや読んでもらうことを期待しない方がいい。