テレビドラマ

藤原新也の『コスモスの影にはいつも誰かが隠れている』がテレビドラマ化されるらしい。
8月13日(火)から 毎週火曜日 午後11時15分放送【BSプレミアム・連続3回】。
http://www9.nhk.or.jp/dramatopics-blog/8000/146621.html

BSプレミアム特集ドラマ 短編シリーズ
『あなたに似た誰か』 あなたが町の一隅で懸命に営む、ささやかな日々の暮らし――
そこには、平凡だが、実は波乱万丈な人間の物語があふれている。「あなたに似た誰か」は、人間の<生と死>を見つめ続ける 写真家・藤原新也 の短編小説を原作に、町の片隅で懸命に暮らす人々のミステリーに満ちた人生の一コマを描く、温かくて泣ける連作短編ドラマです。

藤原新也のコメント(shinya talk 7月10日より転載)

拍手も涙もいらない。

東日本大震災の直後に現地を訪れたとき、死体安置所の光景に息を飲んだ。
棺桶が体育館いっぱいに並べられ、それに倍する人々が身元確認に訪れていたのだが、そこには湿ったような足音と青ざめた重い沈黙のみが漂っていたからだ。
その死体安置所を扱った「遺体」という映画のメイキングを見た時、主役の方が棺桶の間を興奮して動き回り、大きな声を出しているのを見て現実とのギャップを感じた。
昨今この情報過多社会におけるメディアや表現の領域においては他との差別化、そして情報の洪水に埋もれないための“過剰”が求められる。
今回拙著の短編小説集『コスモスの影にはいつも誰かが隠れている』の中から映像化された3編の作品は、そういった過剰の時代とは対極にある、ある意味で申しわけないくらい“とりたてて何か大げさなことが起こるわけでもない”日常的作品である。
したがってそれを見る者はおそらく様々なシーンに展開する、時に針が畳の上に落ちるくらい小さな音に耳を澄ます必要が生じるかも知れない。
つまりこれらの映像作品は黙っていてもいやおうなく“見せつけられる”作品ではなく、こちらが情報に耳を澄ましながら、そして登場人物の気持ちを汲み取りながら“見る(読む)”作品だと思う。
そして、それらのありふれた何処にでもあるような日常が見る側の気持ちの中に気づかぬうちにいつしか潮が満ちるかのような静かな情動を生んだとすれば、それは作品として成功したということだろう。
そういう意味でこの3編の作品には拍手も涙もいらない。
静かな共感さえあればいいと思う。

犬のサマーカット

今年は、梅雨が短く、急に暑くなり、体力の消耗が著しい。「熱中症」も人ごとではなく、気を付けねば。
皮膚呼吸はしないとは言え、毛でおおわれている犬も夏は暑そう。そこで我が家のキャバリヤ(ソフィー)は、ペットショップでサマーカット。料金は5000円(私の散髪代より高い.近所のプードルのカット代は、もっと高い。しかも、プードルは頻繁にカットが必要らしい。)(さらに、夏は蚊が多いので、そのフィラリアの予防の薬9000円も必要)。
カットしてキャバリァ特有のふさふさした毛がなくなり、貧相に見えるが、体面より健康が第1.人も同じことだろう。