知人のOさんから、「最近、妻との会話で話題となったエッセーをお送りします↓」というメールを、いただいた。
<妻は、「国民国家は憲法で縛れるけど(現実にはそれもままならない こともあるが) グローバル企業は憲法の縛りからさえも自由・・・ 国 家は企業を法律により統制できるはずだけれど、グローバル企業に 対してはほぼそうしようとしない 利益追求をしやすいような環境づく りには熱心だけれど というようなことかと・・・・・」と理解し、私は「 国民国家の役割がおわった後の憲法とはこんなもの」と読みました。> http://blog.tatsuru.com/2013/05/08_0746.php その内容は、少し政治的なことだが、ほぼ納得できるものであった。安部内閣の教育基本法の「改正」について、教育社会学者が分析していることとも通じる。(たとえば、広田照幸「未来を限定する改正案」朝日新聞2003年5月29日、先週の授業で、これを説明した) 次のような冴えた分析が続く。 <改憲を「旗艦」とする自民党政策のねらいは社会の「機動化」(mobilization)である。><国民資源は「強い日本人」に集中しなければならない。彼らが国際競争に勝ち残りさえすれば、そこからの「トリクルダウン」の余沢が「弱い日本人」にも多少は分配されるかも知れないのだから。改憲案はこの「弱い日本人」についての「どうやって強者に奉仕するのか」を定めた命令である。><改憲案はあきらかに戦争に巻き込まれるリスクを高めることをめざしている。><戦争機会が増大すればするほど、国民国家の解体が早まる> それを書いている内田樹氏の本は、何冊か読んだことがある。確か、『村上春樹にご用心』も氏の著作である。 それにしても、今夜の夕食のことや子育てのことではなく、このような政治論議、文化論議ができる夫婦って、いいですね。