村上春樹の「色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年」についての論議は続いている。(読売新聞 5月12日 朝刊)
この作品から、「東日本大震災と津波、そして原発事故について、何らかのメッセージを受け取ること」もできる(宇野重規)という。そうかな?
多層からなる「ミルフィュという焼き菓子」(橋爪大三郎)という比喩は面白い。
日: 2013年5月12日
母の日コンサート
久々に高校の文化祭を見に行った気分である。知りあいの方から、「母の日コンサートー1万歳の大合唱」というチケットをいただいて、千葉市民会館大ホールに行った。
知り合いの人が入っている合唱団の定期演奏会のようなものだろうと思っていったら、記念講演があり、その後14の団体が出る音楽会であった。
そのうち、いくつかは障害者の音楽サークルの演奏であり、それを人々が手拍子を打ちながら聴くという心温まる会であった。なかには、高校生の和太鼓、ダンス、合唱があり、 その若さのパワーはすごく、感動的であった(和太鼓の演奏というものをはじめて聴いた)。(肝心の知りあいの方の出た「1万歳合唱団」は、一番最後で時間がなく聞けなかった。ごめんなさい)
世の中には、このような「あたたかい」会があるのだ。「田舎」の千葉ならではなのかもしれないが。
BMW
年齢ショック
電車やバスに乗っていて、席を譲られそうになった時の、ショックは大きい。自分に対する自分の認識と外見にギャップがあるのであろう。まだ自分は老人でないと思っていても外見はそうでないということであろう。
これまで、バスで席を譲られそうになったのは、中国[上海]で2度、日本(千葉)で1度あったが、今日は電車(外房線)で、そのような体験があり、ショックを受けた。気を付けねば(何を?)