村上春樹の新刊を読む

昨日(12日)、村上春樹の新刊『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』(文藝春秋)の発売日で、東京では本を求めて深夜から本屋の前に行列ができたというニュースが流れていた。
千葉県はどうかと思い、JR稲毛駅の本屋に、午後立ち寄った。なんと、たくさんの本が平積になって残っていて、楽々買うことができた。これって、千葉(県)の「民度」(文化度)を表しているのかもしれないと思った。(確か、村上春樹は、昔、南房総(千倉)にいたこともあり、千葉とはゆかりが深いはずなのだけど、、、、)
 ところで、若い人は本を買わなくなったと言われているが、大学生はこれだけ世間で話題になっている村上春樹の本を購入しているのであろうか。それより、そもそも、大学生は、村上春樹の名前を知っているのであろうか。授業で、今度聞いてみようと思う。
 
 久々に読んだ村上春樹の小説は面白く、一気に読んだ。ただ、いろいろ考えさせられることや文章に出会い、サーと読めたというわけではない。
 たとえば、若い時(高校時代)の友人グループの意味、人の成長のプロセス、村上春樹の死生観、恋愛観などについて考えさせられた。 
 ただ、基本的なトーンは、村上ワールドの「甘い」恋愛小説だと思った。

「いずれにせよもし、沙羅がおれを選ばなかったなら、おれは本当に死んでしまうだろう、と彼は思う」(388ページ) 
 
(これは「甘い」セリフだと思ったら、我が家の娘の意見は違って、一人からは「そんな重いことをことを男性から言われるのは困る。そんな暗い小説なの?」と聞かれ、もう一人からは、「それ、ストカーじゃないの」と言われた。「甘い」恋愛小説というの甘い私の読みかもしれない。 
  ただ以下のセリフは、心に残る。

「たとえ完全なものでなくても、駅はまず作られなくてはならない。そうでしょう? 駅がなければ、電車はそこに停まれないんだから。そして大事な人を迎えることもできないんだから。もしそこに何か不具合が見つかれば、必要に応じてあとで手直ししていいのよ。まず駅をこしらえなさい。彼女のための特別な駅を」(324ページ)

後日談(4月17日)
敬愛大学で約100人の学生(こども学科)に尋ねたが、この本を既に読んだという学生は、3名ほど。冒頭の部分を数ページ読んでもらい、この本の作者は誰かを推定してもらったが、当たったものは数名。ただし、村上春樹の名前は、かなりの学生が知っていた。高校の国語の教科書にも何か作品が入っているらしい。「高校の国語の先生が村上春樹は嫌いで、その箇所を飛ばしていました。だから私も読みませんでした」という学生もいた。冒頭の部分を読んで、「その先が読みたくなりました」という学生もかなりいた。次の日に会ったら、「最後まで読みました.アカはなぜ同性愛なのですか?」と聞いてくる学生がいた。
後日談2(4月30日)
このブログを読んだ知人から、次のような内容のメールをいただいた。
<数十人の院生が集まった授業で村上作品を話題にし、「読んだ人はいますか?」と聞いたら1人もいなかった。「100万部突破ということは日本人の100人に1人が読んだのだから院生の集団なら1人くらいはいてもいいじゃないか」とぶつぶつ。「みなさんが感動するものを挙げて下さい」というと、一人の院生が、お城の模型を挙げるものがいた。それは15年くらい前に建てられた木造モルタルのがらんどうのものである。これほど話題になった村上春樹の作品にも興味を示さないことと、張りぼての建物を素晴らしいと思うこと、この2つは同根ではないかと感じました。>