1冊の本(敬愛大学国際学部忘年会、スピーチ )

 私がサイン会に並んでサインをもらった著者が一人います。それは写真家・評論家の藤原新也です。それだけ、ファンということです。同世代ということもありますが、氏の書いたものに共感させられ、「こういうことだったのか」と腑に落ちてしまうことがよくあります。
 今回(12月18日)、国際学部の教員の「本の交換会」(各自好きな本を1冊持ってきて、ランダムに交換する)ということなので、氏の本を選びました。
藤原氏は、日本のこと(現代の世相や若者、福島等)にさまざまかかわっているので、土着的な人のような印象を受けますが、極めて国際的な人です。特に、アジア(特にインド)の視点を持った人です。
 <アメリカ人は道ですれ違う人に挨拶するフレンドリーな国民と言われていますが、彼らとそれ以上の親しさは深まらないのに対し、インドでそのような挨拶を交わす関係というのは、一生の友人のような関係になります。>このようなことをどこかで(多分『アメリカ』?)で書いていたと思います。
今回選んだ、『なみだふるはな』(河出書房新社、2012)は、『苦海浄土』を書かれた石牟礼道子さんとの対談で東北地震・福島原発に関して論じたものです。
「長年にわたって危機にさらされる普通の人々の生活と命。そして、罪なき動物たちの犠牲。やがて母なる海の汚染。歴史は繰り返す、という言葉を、これほど鮮明に再現した例は稀有だろう」序文で、述べられています。
国際学科の先生方の「本の交換会」ということなので、私がファンの人で、アジア的な視点から、現代の問題を考えられる藤原新也氏の本を選びました。

<追記> このブログを読んだ、知り合いの先生から、次のようなコメントをいただいた。過分なお言葉に深く御礼申しあげる。

先生の藤原新也好きは、よーくわかっておりました。『朝日カメラ』だったかで見た、暗い色調から浮かび上がるように犬が死体に食いつく映像。彼の写真から、放浪記を読み出すようになったと記憶しています。『全東洋街道』あたりからでしょうか。その文章と野性に魅了されました。
藤原新也が好きな武内先生。きっと僕が知らない、好奇心、冒険心、野性へのあこがれをたっぷり抱えもった先生の一面がおありになるのだろうと思ってます。
メリー・クリスマス そしてよい年をお迎えください。

会話の楽しみ

 「会話の根っこは、話す/聞く、の繰り返しによるリズムと転調自体にあって、話されている事柄は会話の端緒のコードに過ぎないかもしれない」
「言葉をとり交わすことは、互いの内面を侵食し合うエロティックな行為で、 終わりのない、果てしなく展開し漂う触れ合い(会話)の快楽」
 (朝吹真理子 書評「松浦理英子 奇貨」 読売新聞・2012年12月9日朝刊)

この文章を読んで、会話に関して思いを馳せた。
私たち大学教員は、学会や研究会が好きで、また会議が好きで、講義より学生との会話がある演習(ゼミ)を好み、飲み会もよく開き、多くの時間を会話で過ごしている。
 議題が決まっている会議は退屈だが、大学教員同士の自由な会話は、会話の背後に多くの(読書に裏打ちされた)教養も感じられ、リッチな気分になる。(ただ、これは、別に大学教員である必要はなく、教養に裏打ちされた自由な思考の持ち主同士であれば、誰でもよい)。
 本を読む楽しみもあるが、それとは別の楽しみが会話にはある。われわれ人間は、生物的な欲求より、会話という社会的欲求の方が強いのかもしれないと、上記の文章を読んで思った。
 
 
 

優れた社会学者の文章

5年に一人くらい、東大社会学科から卓越した社会学研究者が生まれるという話を聞いたことがある、橋爪大三郎氏(東京工業大学教授)もその一人であろう。多くの著作を出し、その話を社会学会で一度聞いたことがあるが、他の人と、オーラが違った。
橋爪氏の書いた書評「日本近世の幅と奥行き;『定本 上田秋成研究序説、高田衛著』」を読んだが、いい文章で、文学的香りに満ちていた。さすがだと思った(一部書き写して、勉強しておこう)。

 「高田衛氏の文体は端然、透徹,創意に満ち、柔軟なバネのような弾力でためらいなく議論を思う方向に進めていく。江戸中期、政治や経済の選択肢が限られていた時代に、かえって思索の翼を自在に羽ばたかせた知性がいた。秋成という個性の解明でありながら、国文学の枠を越えた普遍的な視野を与えてくれる」 「縦横で実践的な精神。市井に生まれ権威と無縁に生きた秋成を通して、日本のプレ近代の幅と奥行きが照らし出される。後世に残したい秀作である」( 読売新聞・2012年12月9日朝刊)

新井真人氏の冥福をお祈りする

 大学院時代6年間一緒に学んだ新井真人氏(元秋田大学教授)のご逝去の知らせを先輩から受けとった。心からお悔やみ申し上げる。
 新井真人氏は、埼玉大学教育学部出身で、東大の大学院に進学してきた人で、とてもまじめで語学もよくできた人だった。一緒に、行った大学院合宿や、T.パーソンズの社会学理論の本を当時助手だった小野浩氏の指導の下に読んだことや、新井郁男先生のもとで、一緒に「道徳教育」の本の翻訳をしたことが懐かしい。
 お互いに就職してからは、年に1度の「教育社会学会」の大会や、「学校社会学研究会」の夏の研究会で会うだけだったが、同期ということで、何でも話せる数少ない友人の一人という気持ちでいた。私たちの結婚式の司会も、新井氏にお願いした。その親しい友人が先に、旅立たれたのはさびしい。
 新井氏の「職業的社会化」の業績(論文、著書)を読み直し、新井氏を偲びたい。