今日は、久しぶりに東大本郷に行った。構内は秋の装いで風情があった。山上会議所に用があり、漱石の三四郎に出てくる三四郎池のそばも通った。グランドでは、アメフット部が練習をしていた。いかにも大学らしい。
用事は、NPO法人『学生文化創造』(http://www.gakusei-bunka.org/sosiki/sosiki.html)のスチューデントコンサルタント研修講座の講師として招かれたせいで、1時過ぎから~5時までの長丁場を「現代大学生文化と学生支援」というテーマで、主に大学職員の人を相手に講師を務めた。
参加者は皆スチューデントコンサルタントの資格を持って大学の学生部やキャリアセンターなどで働いている専門家(大学職員)ばかりなので、こちらもかなり緊張して、これまでの学生調査の結果と学生支援についての考えを主に報告した。
後半は、「ワールド・カフェ―」方式で議論してもらい、グループの討論の内容を発表してもらったので、私は楽であったが、私の前半の話が、大学職員の方にどの程度理解していただけたのか、少し不安であった。
後の懇親会では、「職員への励ましをいただきました」とか「先生の穏やかな話し方に癒されました」とか言っていただいたが、大学教員と職員の距離も少なからず感じた。それは、大学教員と職員の仕事がかなり違うということ、それと関心事が違うということ、また大学職員の苦労や気持ちを我々大学教員があまりわかっていないのではないかということから来ている。私にとっては、大学職員の人といろいろ話せたのは貴重な経験であった。今後に生かしたい。
月: 2012年11月
取りとめもなく
「潔くしなさい」
「潔(いさぎよ)くしなさい」と、今の学生に言いたい
「授業に出て来たのなら、私語やケイタイいじりを止めて、こちらの話をきちんと聞きなさい。友だちと話したり、ケイタイをいじりたいのなら、授業を欠席しなさい。
人間には潔さが大切です。一方を選んだのなら、他方を諦めるのがルールです。二股をかけるのは、一人前の大人のすることではありません。
あなたたちは、大学生=大人なのですから」
鳥のエサ
授業の中での個人情報
個人情報の時代、大学で授業をやっていて、学生の個人情報の扱いに苦慮することが増えている。他の先生達はどのようにしているのであろうか?
何かのテーマで講義をする時、学生に自分の身近な問題としても考えて、そのテーマに関心を持ってほしいと思うので、学生にそのテーマに関連してのことを聞くことがある。
たとえば、「これまでいじめられた経験はありますか」「小中高のどの時代が一番楽しかったですか」「あなたの大切にしている価値は何ですか」「好きな歌手やグループはいますか。そこの歌詞では、どのような価値が歌われていますか」など。
上記のような質問や「これこれの考えの人、手を挙げて下さい」というような発問を、講義中にしていいものかどうか迷う。
それらは、個人情報で、人に知られたくないと思っている学生もいるかもしれない。つまり小学校時代はいじめられ暗い時代だったことを人に知られたくない人もいるはずある。それを皆に知られたために、人から軽蔑されたり、仲間外れにされたりすることがあるかも知れない。そのような危険なことを、大学教師はしているのかもしれない。誰かの書いたレポートやリアクションを皆の前で紹介することがあるが、それもよほど配慮しないと同じような危険を冒すことになる。
学生も、もちろん対策は考えているであろう。小泉恭子によれば、高校生(特に女子)が「好きな音楽」について語る時、場所や状況に応じて「好み」を使い分けているという(2007,『音楽をまとう若者』勁草書房)。女子高校生は、フォーマルな空間(音楽の授業)やセミフォーマルな空間(部活動)では「スタンダード」や「コモン・ミュジック」を自分の好みの音楽として語り、それを隠れ蓑に「パーソナル・ミュージック」の好みを包み隠し、自己防衛をし、自分の立ち位置や居場所を確保しているという。
大学の授業の中で、指名して発言を求めても、なかなか意見をいいたがらないのは、このような事情があるのかもしれない。つまり個人情報を知られたくない、皆の前で恥を晒したくないという学生の強い気持ちがあるのかもしれない。
それでいきおい、私は授業で、学生に発言を求めず、一方的な講義になることも多い。他の先生方は、この点をどのように考え、対処しているのであろうか。