今日は、東京大学(本郷)で、日本高等教育学会第15回大会が開かれていたので、朝から、いろいろ発表を聞き、勉強してきた。自由研究は、同時に7つの部会があるので、どれを聞くかは迷ったが、「学習成果」や「国際化」の部会を聞き、午後の課題研究では「大学教員にとっての授業」を聞いた。
今いろいろな大学で大学や学生の様子を見ている体験からすると、発表が大学の教育現場を知らずに上滑りだなと感じることも少なくなかったが、質問もせず、おとなしくしていた。
大学教員の授業観が、「自分の受けた授業に影響される」「自分の専門に固執する」「ゼミで学生が成長すると思っている」「学生の学習実態と乖離している」などの、課題研究での指摘は、いろいろ考えさせられるものがあった。
学会は、多くの人に、年に一度会えるという楽しみもある。潮木守一先生、天野郁夫先生のお元気な姿にも接し、挨拶することが出来た。昔、(教育社会)学会の事務局のあった東大で助手をしていた頃は、学会に来る人の8割方は顔見知りであったが、今日は会場で見渡すと、9割は知らない人であった。そして、高等教育学会は昔は年配の男ばかりであったが、若い人や女性がかなり増えたように思う。
東京大学(本郷)は、私が学部2年、大学院6年、助手で4年と12年間過ごしたころだが、必ずしも明るい時代ではなかったし、久しぶりに訪れる東京大学は、昔のことも思い出し、複雑な気持ちのところであった。
日: 2012年6月2日
講演について
昔、指導教授の松原治郎先生が「1時間の大学の授業より1回の講演の方が楽だ」とおしゃっていたことがある。大学の授業は24回分を話さなければならないが、講演はそれを1回で話せばいいから、ということのようだった。講演の方が、聞き手に聞く意欲があるし、私語はないし、話しやすいということはある。
私自身は、あまり講演の経験はないが、成功した講演と失敗した講演がある。失敗した講演は、今もトラウマになっていて、大分昔のことなのに、思い出して苦い思いをする。今も失敗して、心痛むのは、千葉の高校で千人近くの高校生を相手に話した時である。その前に、千葉の小学校のPTA相手の講演で、大学の講義のような形式で話をして成功したので、そのような形式(レジメを配りそれを使い話す)で話したところ(内容は大学進学の話だったと思う)、途中から飽きられ、私語が多く、収拾がつかなくなった。千人の高校生相手に話をする覚悟が、私の中になかったのである。今なら、もう少し工夫が出来たはずだ。