歳を取るというということ

 人は歳とともに賢くなるのではなく、頑固になったり、ボケたりする。これは人ごとではなく、気をつけなければいけない。
あの吉本隆明が「耄碌した」というのは本当なのであろうか? 私は昔の吉本隆明の著作しか読んでいなくて、週刊新潮の記事も読んでいないので、真偽はわからない。(たとえ、耄碌して訳のわからないことを言ったとしても、過去の栄光は消えないと思うが、)
 
  Shinya Talk 2月25日より転載 
<(財界を中心に政治マスコミなどへの、原子力村の巻き返し台風がものすごい勢い) そんな中、ここに来て、マスコミの姿勢にもはっきりと色分けが出てきているようだ。
特に週刊文春と週刊新潮の原発に対するスタンスが極めてはっきりとしてきている。
かつて原発広告の出稿料に関しては雑誌ソトコトに次いで2番目を誇っていた週刊新潮はすでに耄碌状態にある吉本隆明の原発推進コメントを鬼の首を取ったように記載するなど、いまだに物欲しげに何かにつけ原発推進茶坊主的な記事をことあるごとに書いているが、今週号の週刊文春ではマスコミの間ではタブーとなっている原発放射能による幼児の疾病発覚(甲状腺がん)をトップ記事で報道している。>
(藤原新也CATWALKより)

FD研修会報告(その2)―異文化教育論的視点

「敬愛大学生調査」(2011)からの考察  
国際学部こども学科 武内清           
1 学生実態調査の重要性
2 入学生の属性の実態から、今後の募集戦略を考える。
3 日本人の学生と留学生の数と比率、留学生支援、国際交流
4 入学時期の違い
5 専攻(学科)の第1志望率
6 生活の比重 からの考察(勉学熱心とアルバイトの比重大)
7 友人関係(大学で友人が得られているか)
8 授業満足度 (国別、学科別の違い) 
9 学生の成績による学生文化の違い
10 教員が授業熱心の影響(教員の授業熱心は、学生の行動を勉学に向かわせ、学生によい影響を与えている)
11 自由記述からの考察
12 教育支援と学生支援を、教員と職員の協働で考えることが必要。(図)

 昨日のFD研修会の私の報告は、上記のような内容である。「素敵な図」と前に書いたのは、私が作ったのではなく研究仲間のH氏が作ってくれた図だからである。
 敬愛大学の留学生比率は、調査の回答者からみると46.7%(経済39.4%、国際76.5%、こども0%)である。
「単一文化論的視点」(日本の文化に同化すべき)や「比較文化論的視点」(それぞれの国の文化のよさを認めよう)ではなく「異文化教育論的視点」(異質な文化に接することのよりお互いに豊かになる)に立てば、とてもいい国際教育ができる大学である(日本人も留学生の国の言語や文化を学び、その理解、交流を図れば、身近にこれだけの留学生がいるのだから、深い豊かな文化交流ができる)というような趣旨の報告もした。

FD研修会

今日は敬愛大学でFD研修会があり、私は他のふたりの先生と一緒に、昨年12月に実施した「敬愛大学学生調査」(2011)の分析と考察を報告した。その詳細はここでは書くことはできないが、最後のまとめでは、下記のような話をした。

教育支援、学生支援を考える時も、このような学生文化の違いに対応した方策がとられる必要がある。それは、各大学の教育力や大学文化や教員や職員の実態、また学生文化の特性により、各大学で違いがあるであろう。
学生調査をもとに、各学部、各部局で、教員と職員が協働して、学生募集、教育支援、学生支援のあり方を探る必要があろう。それは、大学の教員と職員の新たな役割分担や共働の仕組みを探る試みでもある。
図  教育支援と学生支援の図式
(そして、教育支援 学生支援、学生文化、大学文化、学生、教員、職員の関係を示す素敵な図式を提示したが、残念ながら、技術的な問題で、うまく掲載できない)

お雛様

 長女が生まれた時、実家から贈られたお雛様を、年に1度は飾っている。1段のお雛様だが、家が狭く、長テーブルの上に飾られたりいろいろで、今年は、フランス人形に少し遠慮してもらい、ピアノの上に飾られている。質素ながら、とてもいい顔つきをしていると自画自賛。お雛様は「飾り物としての古の形式と、一生の災厄をこの人形に身代りさせるという祭礼的意味合いが強く」(wikipedia)と、勝手に解釈している。二人の娘が、無事に育っていることに感謝。

人の誕生の自然と人工(議論)

A  藤原新也のトーク
佐賀で行われた両人の結婚式にも出席し、私はその席で3メートル2メートルの麻紙に「白道」という書行を行った。この書は真っ白なキャンバスに絵を描くようにまっさらな道を歩めという意が込められるとともに、その白い道とは私の心づもりとしては産道の意味もある。産道を通る赤子はまっさらな道を自分で歩く人生で最初の旅をするのだ。わずかセンチ単位の道。だがその道の里は険しい。(中略)   ご承知のように現代においては人間は病院で生まれ、病院で死ぬ。不条理な時代である。私の著作の中に「死は病ではない」とあるのと同じように「出生も病ではない」。昔はほとんどの赤子は産婆さんの家か自宅で産婆さんが取り上げていたのだ。そこには大人の時間ではなく、赤子の時間がある。つまり赤子は産道という白道、つまりその険しい道を一人で旅をする。大人はその赤子の旅を見守る。赤子の旅の時間を見守る。そして赤子は自らの力でこの世に生まれ出る。しかし病院ではこの赤子の旅と時間を無視し、大人の時間をその赤子に強制する。なにせ世の中は時は金なりなのである。えんやこらえんやらと何時間も何時間も赤子に旅をされては困るのだ。 そこで陣痛促進剤なるものが投入される。赤子の旅はその時点で終わる。自らの力ではなく、薬の力で”排出”されるのだ。陣痛促進剤が効かない場合は次に待っているのは帝王切開だ。そこには旅する道もない。旅をしなかった赤子は赤くもなく、白ばんでひょろりと生まれる。この最初の旅を自分の力で行ったのか、あるいは他の力によって行ったのか。ここにその後の人生にハンディの差異が生まれる。最初の旅を自分の力で行った赤子の無意識には自信が芽生えるのである。他の力で生まれた赤子は逆に不安を抱え込むことになる。
B 投稿1
わたしの長女は帝王切開で生まれました。34週で破水したためです。いろいろ経緯もありますが、とにかく、そのときは病院にお任せするしかなかったです。わたしは祈ることしかできませんでした。産後すぐ、娘は保育器に入れられ、わたしは初乳を絞って、助産婦さんにお願いしてそれを与えてもらうだけ。面会時間も限られていて、とても寂しかったです。生まれた直後に母児ともに過ごす時間は、その子の人生の基盤作りに欠かせないもので、その時間を持てなかった子は将来グレ易いとか問題児になりやすい、などと身近な人から言われ、ショックを受けたりもしました。娘の退院後は、離れ離れの3週間を取り戻すかもように、娘は泣きまくり、わたしはず~っとだっこをしていました。だっこをしていれば泣かないので、離れ離れにしてしまったことを責められているような気がしました。急におなかから取り出され、シンとした保育器の中で、どれだけ不安な気持ちでいたことでしょう。考えるととても辛くなりました。それから、代2子が自然分娩で生まれ、母子で泣き笑いしながら成長していくうちに、確信したことがあります。それは、埋まらない溝はないということです。帝王切開で生まれた子は忍耐力が弱い、などといったことも、単なる可能性のひとつだと思います。母乳で育てるとどうの、母乳じゃないとどうの、という考えも、道理ではあるけれでも、人生の必須アイテムではないと思います。動物的にはダメダメなのでしょうが、人間ですから医学に助けられて生きることもアリでしょう。無事に生まれた命を大切に育て、生きる力をはぐくむしかないのだと思いました。というわけで、帝王切開は人生のハンディにはならないと思っています。藤原さんの周囲にも、帝王切開で生まれた地に足の着いた意志力を持った方がいらっしゃると思いますヨ。
C  投稿2
藤原サンの言いたいことは、よくわかるのですが、あくまでも男目線じゃないのかな?と思っていたので、今日の女性の投稿が、すごく心に沁み入り、ホッとしました。改めて、言葉の暴力、言葉の使い方の難しさ、男性性女性性の違いを感じました。
D  投稿3
「帝王切開は人生のハンディにはならないと思います」といわれた今日の投稿に賛同するものです。残念ながら、今回藤原さんがお書きになっている「・・・自らの力で産道を通ってきた赤ちゃんと、人の手を借りて生まれた赤ちゃん。最初の旅を自分で行ったかどうかで人生の初めにおいてハンディがある・・・」というこういう根拠のない考え方はもうずいぶんと前から言われている通説だということを先に申し上げます。私もいろんなところで、出産の神秘などをそのような観点から語られるのをよく耳にしました。
私は三人の娘を帝王切開で出産しました。また長女が3年前にこれもまた帝王切開で長男を出産しました。なぜ帝王切開に至ったかはそれぞれに理由があり、説明をしませんが、この方がおっしゃっているように「・・このときは病院にお任せする他なかったんです・・」というのがもっとも正当な理由だと思います。どちらも、またどんな状況で生まれようと、そこにはたった一つ「生まれ出る命」があるということです。ましてや帝王切開で生まれる赤ちゃんが「白ばんでひょろりと生まれる」ことはありません。私のときも娘のときも産まれてきた赤ちゃんは真っ赤で力いっぱい泣いておりました。おそらくご経験のない藤原さんにこれだけは今回お分かりいただきたいと願っています。
藤原さんは「生まれてくることと死ぬこと」において、人の力ではなく自身でつかみとるというようなことを書かれていますが、藤原さんが考えられる人の手を借りることと借りないことのラインはどこなのでしょうか? そして産むとき。妊娠してから母子手帳をもらい臨月を迎えるまでには必ず病院で検診を受けるのがふつうです。(それが産院であってもです)そう思うと、最終的に自宅で産むか、病院で産むかなんてことは、それは産む間際のことのみ。大した問題ではありません。ましてやどちらが産まれてくる子供に誇れることか・・なんてそれこそ大人側の問題なのではありませんか?
F 返信(藤原新也)
16日付のトーク以降、投稿は多少炎上ぎみで、さまざまなご”意見”というより「体験談」を話される方が多く、体験できぬ”男類”としては大変に勉強になった。
今回のトークでは陣痛促進剤の使用や帝王切開に対し否定的な発言をしたことから、そういった手段によって生まれたお子さんの人格否定につながりかねないこともあり、多少感情的になられたご意見もあり、それも母親としての子に対する愛情の現れと思い、決して私個人は気分を害することもなく、むしろ自分の発言の脇の甘さに思いを致した次第だ。
思うに出産に関しての情報は世の中に膨大に溢れている。だが、こうして生の体験談を聞くことはいかなる二次情報にも増してリアルであり、耳に食い込む貴重なものだ。私は80年代半ばに出産について情報を集めたことがあったが、体験された個人の個的な話を聞かなかったなと、今回のたくさんの投稿を読みながら今更ながら思う。 
いかなる命もそこに優劣を烙印することは、表現者としてあるまじきことであり、あらためてこの問題は自分の中で整理したいと思っております。
2012/2/20再放送のお知らせ。 「わたしが子どもだったころ」  藤原新也
2月23日(木)18:00~18:45  NHKBSプレミアム、セレクション。
F コメント (武内)
 ジェンダー差も感じたが、実体験の迫力に、さすがの藤原新也もたじたじ。
( 引用は、すべてCATWALKより)