中国の学生を案内していて公私の違いを感じたことがある。
休日で上智の図書館は閉まっていたが、入り口で守衛さんが「少しならいいですよ」と言って、中を見せてくれた。東大の綜合図書館は開いていたが、「専任教官と一緒であれば平日の5時までは見学できるが、今日は休日の5時30分であり、あなたは専任の教官ではないので見学は(絶対に)出来ない」と冷たく断られた。
法律や規則通りにするのが公、人を見て融通をきかせてくれるのが私のような気がする。
中国の学生で「法律の日中比較をしたい」と言っていたものがいたが、日本は法律万能主義で、中国は日本の私的な面(普遍主義に対する個別主義)も重視されるのではないかと思った。もちろん、私的、個別主義のいき過ぎは、いろいろ弊害がありいいわけではないが、法律・規則万能主義も味気ない。
日: 2012年2月14日
補足
以前の書き込みの補足です。
1 「額田の大君」は、「額田王」の間違いです。
2 「忍ばずの池」は、「不忍の池」の間違いです。
(ハッキリした名前の由来はないようです。一般的に、上野台のことを「忍ヶ岡」と呼んでいたのに対し、その下にある池という理由で「不忍」の池と呼んでいたと理解されているようです。文献に基づくと、語源として次のようなものがあるようです。1.「忍ヶ岡」に対して「忍の池」となり、それが次第に「不忍池」となった、とする説『江戸妙子』『江戸名所図会』『増補江戸惣鹿子』 (以下省略http://detail.chiebukuro.yahoo.co.jp/qa/question_detail/q148446379)
3 日中比較文化に関して、水沼文平氏より、興味深いコメントをいただきました。
「中国の学生と話ができて良かったですね。日本語とか日本文化を専攻している学生かと思われますが、漱石の三四郎とか額田王とか、確かに今の学生は知らないでしょうね。私の知人で、文化大革命の頃、毛沢東少年少女だった人が日本の大学に留学、日本が好きになってそのまま住みついたり帰化した人が4、5人います。動機はそれぞれですが、日本が住みやすいというのが共通した理由のようです。最近、加藤幸次先生は日中合作の「中国人用日本語テキスト」を作成中ですが、漢字という表意文字の持つ特性はアルファベットにはないものがあります。10くらい並んだ漢字の意味を一瞬にして理解するなどABC文化圏では不可能なことです。中国、ベトナム、台湾、朝鮮、日本の漢字文化圏は共通の文化(仏教、儒教など)を持っており、共産化している中国でもこのDNAはしっかりと温存されているはずです。そういう一端を先生の「上海の大学生」から垣間見ることができました。中国の学生に教えられ得るものが多かったと先生は言われていますが、こういうことこそ近隣諸国との友好関係を築く上で最も大事なことだと思います。」
4 2月10日ライブの様子(写真)は、下記をご覧ください。
http://ameblo.jp/aoakuamusic/