2人称小説について

これまで多くの小説を読んできたが、小説の人称に関しては、気にかけてたことがない。しかし、小説には、1人称、2人称、3人称で書かれた3種のあることをはじめて知った。それは、今回の芥川賞の受賞作品の井戸川射子「この世の喜び」に関して、平野啓一郎が二人称で描いているという指摘をしているのを読んでのことである。

藤野可織『爪と目』には、日本語的には理解しがたい次のような文章があるという。すなわち、<はじめてあなたと関係を持った日、帰り際になって父は「きみとは結婚できない」と言った。>という文章。これは、2人称小説として読めば、理解可能であるという。つまり<(父は、)はじめてあなたと関係を持った日、帰り際になって「きみとは結婚できない」と言った。>という風に。

小説は、通常1人称か3人称で書かれ、2人称で書かれるのは稀であるという。1人称小説は、「私が」「僕が」というように登場人物の目線から語られる物語。3人称小説は 「彼女は」「彼が」というように、客観的視点から語られる物語である。2人称小説には、語り手の「わたし」が「あなた」に話しかけるという体裁の小説と、もう一つは「あなた」が主要な作中人物の一人として動き回り、考え込むものがある。また、2人称小説には私が心の中のもう一人の私に語りかけるものもあり、さらに、読者(翻訳者)が勝手にそのように解釈したり(村上春樹の「キャッチャー・イン・ザ・ライ」の翻訳)と、とても複雑のようで、まだ理解できないでいる。そのあたりのことは、下記に詳しい。(中井秀明「二人称小説とは何か――藤野可織『爪と目』とミシェル・ビュトール『心変わり』」>https://nakaii.hatenablog.com/entry