香川正弘「イギリス成人教育史研究をめぐる研究者の絆」を読む

上智大学教育学科に勤務していた折、同僚だった香川正弘先生が、最近書かれた論文「イギリス成人教育史研究をめぐる研究者の絆―宮坂広作教授と E.ウェルチ博士 との交遊の思い出」(UEJジャーナル第33号、2020年4月15日号)」https://www.uejp.jp/pdf/journal/33/h333.pdf」を読む機会があった。その感想と、香川教授への礼状の一部を以下、記録に残す。

香川教授は凝り性の研究者、学者気質があり、こうだと決めるとイノシシのごとく猛ダッシュして、そのことに何年も集中して研究し成果を出す人である。先生の論稿を久しぶりに読み、そのような昔を思い出した。80歳に近くなって、こんな長い緻密な論文を書く気力と筆力がある人なのだと驚かされた。/ 内容的には、私の無知の社会教育(生涯学習)の研究分野のことであり、無理解や誤読もあると思う。歴史研究のこと、歴史的1次資料の蒐集のこと、イギリスの大学拡張のことなどを学んだ。/「現在のように公的施設がたくさんあり、自分たちで集まりを催しても何にも問題にならないのは、深い歴史があるのです、終戦以来、79年です。戦後の大人の自由な学習をつくりあげてきた苦闘の歴史を描いたのが、ご紹介した論稿です」とメールをいただいている。/先生は、日本の社会教育が法律の解釈ばかりで、歴史的な実証研究を全く評価してこなかった、それをめざした東大の宮坂教授や自分(香川)の研究は、評価されず、弟子も育たなかったという無念さも書いている。/この香川論文を読んで、社会教育、生涯学習の分野や、外国の歴史研究、大学の拡張研究など、これまで私が考えてこなかった分野の研究があることを改めて思い知った。

以下、香川先生への礼状

「すごいな」いうのが、第1の感想です。一流の学者、研究者というものは、このような人なのだという感銘です。これは、先生の友人の宮坂広作教授に対する賛辞であると同時に、香川先生に対する敬服の念です。この論稿は、若い人が読めば、研究者の姿を学び、後に続く人が出ると思います。/ 第2に、社会科学や人文科学においての歴史研究の重要さ、それも第1次資料を蒐集し、実証性を重んじ、ものごとの起源や歴史の流れをオリジナルに考察することの大切さと、それを実行する途方もない努力の軌跡が、論稿に書かれており、大変感銘を受けました。/ 第3に、学問を介した香川先生と宮坂先生の友情の絆の強さと尊さの実例に心打たれます。/ 第4に、教育社会学とは違う社会教育の分野のことも、いろいろ学ぶことができました。東大の場合、(今はわかりませんが、)私が学生、院生そして助手の時代は、社会教育コースと教育社会コースは、犬猿の仲だったと思います。教育社会学からすると、社会教育は、研究分野があるだけで、方法論はないし、左翼のイデオロギーと実践だけあって、社会科学としての学問として成立しているのかという不信感がありました。社会教育学コースはある年非常勤講師に、栗原彬、神田道子という別分野(社会学)の人を呼んでいました。/ 香川先生が、イギリスの大学拡張の歴史研究、しかも1次資料を使っての歴史的考証(実証研究)という方法論は斬新で、それが広まれば、日本の社会教育研究も進んだことがよくわかります。香川先生がよくおしゃっていたように、歴史研究でものごとの起源を明らかにすることの重要性は学問としてきわめて大切なことはわかります。香川先生と宮坂先生の外国の文献や歴史的資料の蒐集の情熱はすさまじいものがあったことが、この論稿からよくわかります。その資料の膨大さを思えが、そこから引き出される知見がもっとあってもいいのではないかという感想も持ちました。またある国のある時期の事実は、時代を経てもまた国が違っても継続するのか、その変遷や文化的変容の考察も大事と思いました(もっとも、このことは宮坂先生や香川先生の別のご著書や論文に書かれているあるいはこれから書かれるのだとは思いますが)/(それから素人の無知から言わせていただくと)東大の社会教育研究室の伝統が、宮原―宮坂と受けつがれ、イギリスの労働階級の学習活動を起点に考えるという発想が、日本的「左翼イデオロギー」と結びつき、視野を狭くしたのではないか、という感想も持ちました。それでは、日本の一部の層の社会教育に当てはまっても、多くの層の生涯学習に結びつかないし、官製の社会教育に足をすくわれるだけではないかという感想ももちました/香川先生の偉大さに感銘を受けながら、勝手な感想も書いてしまいました。失礼があったら、お許し下さい。

上記の礼状を出してから、香川先生からは、「教会による宗教教育の伝統や王立協会の事例に学んで各地にジェントルマンを中心にしての大人の科学学習会が広がっていたのを指摘している論文もあった。イギリス人の成人教育の専門家は、プロレタリアとブルジョアジーの二つの成人教育論がイギリスにはあるとは考えていない。イギリスの20世紀の労働者教育運動も、18世紀の『知は力なり』を信奉して学習運動を展開している」という指摘もいただいた。またイギリスの教育に詳しい友人からも「イギリスのUniversity ExtensionはOpen University、Further Educationと連接して読み込めこめる。日本の社会教育は英語ではSocial Educationかもしれませんがイギリスでは日本の社会教育の内実とは異なる意味域をもっているようです。例えば支配階級に一手に握られていた大学教育を労働者階級に開放を求めるという意味合いからして「非職業的な教養主義的成人教育」、つまりnon-vocational liberal adult educationという原語があります」という指摘があり、社会教育や生涯教育のあり方、それの国際比較は、とても複雑な問題であり、また思想やイデオロギーのことは「左翼イデオロギー」などひとくくりにできないことを知り、専門外の素人が迂闊に頭を突っ込むのは危険ということも感じた。