「学校パソコン、もう返したい」

アクティブラーニングの「主体的・対話的で深い学び」の「深い学び」に関して、溝上慎一氏は、「関連づけ」が大切と述べている。(これは歳のせいかもしれないが)あることを読んだり聞いたりした時、昔読んだり聞いたりしたことを思い出し、「関連づけ」てしまう。

一昨日(2月15日)朝刊の日経新聞に、文部科学省が昨年小中の児童生徒にパソコンやタブレットの端末を一人一台配布し、遅れている日本の教育のデジタル化を推進しようとしているのに対して、それが現場ではあまり進まないことが書かれていた。その記事の見出しが、「学校パソコン、もう返したい」であるのに大変驚いた。

政府や文部科学省の上からのお達しに対して、教育現場は正面切って否とは言えず、できることはせいぜいそれをスルーして骨抜きにすることある。それが、「学校パソコン、もう返したい」と、政府のデジタル教育推進の流れに、否と教育現場の教師が言えるということに驚いた(取材に答えただけで、公に言ったわけではないが)。

そこから関連づけて連想されるのは、明治の時代、近代学校ができた時、労働力として大切な子どもを学校にとられて家の農業が成り立たなくなると、各地が学校打ち壊し運動(「学校一揆」や「学校焼き討ち」)が起きたことである。また、その他、上からの(教育)政策に関して、激しい反対運動が、学生運動を含め起きたことが思い出される。

教育のデジタル化は、近代の学校教育が保持してきたさまざまなシステム(教科書の検定制度もその1つ)を破壊する側面がある。それに対する抵抗が「学校パソコン、もう返したい」という言葉に象徴されている(、ように思う)。

日経の記事(2月14日)一部転載―

「学校パソコン、もう返したい」「1人1台ばらまき先行、教師なお「紙と鉛筆」― 義務教育の子どもにパソコンやタブレット端末を1人1台ずつ持たせる「GIGAスクール」構想が空回りしている。国の予算でばらまかれた端末を持て余す現場からは「もう返したい」との声も出る。日本の教育ICT(情報通信技術)はもともと主要国で最低レベル。責任の所在がはっきりせぬまま巨額の税金(4800億円)を投じたあげく、政策が勢いを失いつつある。(以下略)