私達の日常には、大した努力をしたわけでもないのにその報酬は大きい場合(A)と努力した割には報酬が少ない(B)場合の2つがあると思う。
もちろん、効率からいえば、BよりAの方がいいわけであるが、達成感や満足度は、BよりAの方が高いとは限らない。
Bの例として、何か会の幹事役があると思う。仲間と行く旅行でもイベントでも、幹事役の人はいろいろ気を遣うことが多く、うまくいって当然で、うまくいかないと参加メンバーから不満が噴出する。努力の割には、報酬は少ない。それでも、これは、皆が喜んでくれたというひそやかな満足感があり、うまく行った時はかなりの達成感があると思う。
Aの例としては、自分は大して努力していないのに、たまたま代表者を務め、メンバーの働きにより、その成果が評価される場合がある。これは褒められても、何となく面はゆく、実際の働きをしてくれたメンバーに目が行ってほしいと思う。満足感は多少あっても達成感はあまりない。メンバーへの努力に感謝を心から述べることで、何とか心理的な均衡がとれる。
今回、私も編者のひとりに名を連ね、何人かのメンバーと一緒に書いた本がもうすぐ出版される。これは、私はほとんど努力してないのに、執筆者の力のこもった原稿と編集者の卓越した努力によって、とてもいいものが出来上がったものである。期待以上のもの(?)が出来、それがとても嬉しいと同時に、編者に名を連ねていることを申し訳なく思い、執筆のメンバーと編集者に深く感謝している次第である。(内容は,乞うご期待)