通学・通勤電車と読書

「読書に集中しようにも家では気が散るし、喫茶店も長居がためらわれる。結局、通勤電車の中がいちばん本の世界に入り込める。ならばいっそ本を読むために旅に出てはどうか。そう考え、書店員の高頭佐和子さんがときおり実践するのが「遠征読書」だ(天声人語、4月27日)」

最近読書量が減っているのは、自分の齢のせいや意欲の衰えかとおもっていたら、この文章に出会い、そういえば学校や大学への通学・通勤時間がなくなったせいもあると思い当たった。

私は中学生の時から半世紀近く、千葉(市川、稲毛海岸、稲毛)から東京(御茶ノ水、赤坂見付、駒場、本郷3丁目、江古田、四谷)(非常勤では三鷹、戸塚、十条、幕張本郷)へ通勤電車で通い続けた。その間の往復約3時間の時間は、誰にも邪魔されない貴重な読書時間であった。集中して本が読めた。勤めてからも、家にいてはやらなければならない家事や雑用が次から次に襲ってくるし、大学に行っては、授業の他に会議があり、電話があり、学生や院生や卒業生も訪ねてくるし、落ちついて読書できる時間はない。通勤電車だけが唯一、本を読める時間であった。

退職して限りなく時間があれば、いくらでも本が読めるではないか、そう思っていた。しかし、実際は読書時間が減っている。時間があると、ついいろいろやらねばならないことを思いついて(例えば犬の散歩、子どもの相手、庭の草むしり)、それに時間を費やし、読書は後回しになる。やはり、何か強制力がはたらく時間が必要のようだ。

病院に行くと待ち時間が長く、かなり本が読める。でもあまり病院には行きたくない。やはり「遠征読書」がいいかもしれない。また千葉にも高齢者用の「乗り放題バス」のパスがある(東京では都営地下鉄にも乗れるパスがあると聞く)。それを買い、本を持ってバスや電車に乗りいろいろなところに行くのもいいかもしれない(作家の村上春樹は午前中は執筆の時間に当てていると書いていたように思う。そのように自宅にいても、午前中は読書の時間と決めればいいことなのだが)