小さい時は、お正月が待ち遠しかったのを覚えているが、何があったのであろうか。お年玉やおせち料理が楽しみだったのであろうか。私の子どもの頃は、戦後直ぐで何もなかった時なので、何か変わったこと、ちょっとしたご馳走があれば、嬉しかったのかもしれない。
今は日常的にモノや美味しいものが溢れ、退屈しないテレビ番組も娯楽もゲームもたくさんあり、お正月だからといって、特別面白いことがあるわけではない。かえって、通りや街や商店街も人が少なく、寂しげなのがお正月かもしれない。
昨日(元旦)は、家族で日本酒で乾杯し、おせち料理を食べた後、親戚の子用に、近くのモールに福袋を買いに行った。モール開店前の行列は例年の半分くらいの長さで、めざす福袋も売れ残っていて、お正月の活気が例年より落ちているように感じた。
午後は墓詣りに行き、その足で親戚の集まりに家族6人で参加した。集まったのは総勢は20名を超えていて、子どもたちにお年玉の交換、妹と姪が作ってくれたおせち料理を食べ、親戚の子どもたちの成長ぶりに驚く。お正月のような行事がないと、親戚で集まることもないことを実感する。
今日(1月2日)は、いただいた年賀状の返事を書く。なるべく年賀状の数を減らそうと、いろいろ工夫している。少し失礼かと思ったが、メールのアドレスのわかる人には、メールで年賀状のお礼・返事を書く(この方が、その後もいろいろ連絡しあえると思った。)
夕方は、雲のないようなので、稲毛の浜に犬(ソフィー)の散歩に行く。とても寒く10分ほどで退散。富士山の山頂付近に雲がかかり、その姿は見えなかった。帰りに海浜幕張の会員制のアメリカのスパー「コストコ」に寄り、おせち料理理に飽きた胃を満たすべく大きな生のピザとホットドックを買う。
家でホットドックとピザを食べながら、海外にいる娘に電話すると(今、通話料は無料、スカイプで顔も見ることができる、便利になったものだ)、「日本料理が恋しい」という。こちらは、おせちにに飽きて、ピザとホットドック。
お正月に入り小さな地震もあったが、平和な、少し「退屈な」お正月である。