学校という場は(大学も)、書かれたものが重視され、教科書や黒板やプリントやパワーポイントやノートも、書かれたもの(文字)を中心に、授業がすすむ。
しかし、話し言葉やプレゼンや討論の方が、双方型コミュニケーションがすすみ、重要だという認識が段々すすんでいるように思う。
ただ、教師というもの(特に大学教師)は、書く文字文化の中で育ってきたので、話すことはあまり上手でない人が多い。
それに比べ、政治家というものは、なんて話が「上手」なのだろうと感心する。そのような人が政治家になっているのであろうが、国会での質疑のやり取りを聞いていても、とても活弁で、自分の都合の悪いことはさりげなくかわし、別の話題に逃れたり、相手を責めたり、自画自賛の方向に持っていったりで「感心」する。
今の保育所の待機児童に関する国会議員とマスコミ人とのやり取りを見ていても、それを感じる。
話し言葉の教育は、どのようにすればいいのであろうか。国会議員のような、言葉だけ上手な人を育てればいいわけではない.