親友の訃報

中学校時代に仲のよかった友人(その時代の唯一の親友といってもよい)の息子さんから電話があり、「一昨日父が亡くなりました」と告げられた。驚き、悲しみ、「葬儀に出席したい」と告げながら、彼とのこれまでの交友をいろいろ思い出した。

二人とも千代田区の同じ公立中学(一ツ橋中学校)に千葉県から通っていたので(彼は船橋から、私は市川から)帰りに一緒に帰り、お互いに家にも遊びに行った。彼の家は、船橋の大きな海苔の卸問屋だった。彼は、大学卒業後、千葉の銀行に就職し、同期入社の年下の可愛い女性と付き合っていて紹介されたことがある。その女性と間もなく結婚し、その結婚式にも呼んでもらった。その後は歩む道も違い、年賀状だけのやり取りで、30年以上会うこともなかった。 そして彼が銀行を退職し、第2の職場に移ったとき、2度ほど会った。その時感じたのは、「30年の月日は長いな」ということである。実業界で過ごした彼と大学で過ごした私では経験が大きく違い、話がなかなか噛み合わない。彼もそれを感じたと思う。 ちょうど、夏目漱石の「それから」の平岡と代助のような感じである。

<代助は同時にこう考えた。自分が三四年の間に、これまで変化したんだから、同じ三四年の間に、平岡も、かれ自身の経験の範囲内で大分変化しているだろう>(それから)

「それから」の場合は3〜4年だが、私達の場合は、30年の空白がある。 彼が私の連絡先を息子に残していたということは、中学時代の交友を大事に思ってくれたせいであろう。彼の霊前に参り、冥福を祈ってこようと思う。