藤原新也のオリンピックに関する記事が今日(6月22日)の朝日新聞に掲載されていた。久しぶりに藤原節を聞く(読む)思い。11年前、上海の万博を見にいった折、それ以前の上海の光景が一変していることに驚いたことを思い出した(2010年7月20日ブログ参照)。(新聞記事を一部転載)
「風景を人を、変えてしまう五輪 祭りの影で土着文化を破壊、今なお 写真家・作家、藤原新也さんに聞く」
<開催の賛否をめぐる議論の図式には正直、食傷気味でもある。少し遠い時空へ思考をめぐらせてみたい。1976年。韓国・ソウルから列車に乗り、慶尚北道へ向かう車窓で美しい農村風景が目に飛び込んできた。ありふれた田舎かもしれないが、おとぎの国に見えた。後年この奇跡的な出あいの写真に「こんなところで死にたいと思わせる風景が、一瞬、目の前を過(よぎ)ることがある」と一文をつけ、著書『メメント・モリ』に収めた。/ (中略)/ 以降、韓国へ行くたびに訪ねたが、90年に足を運んだとき、立ち竦(すく)んだ。見渡す限りの更地が広がっている。その2年前のソウル五輪を機に高速道路が開通し、役所がマンションを建て住民を立ち退かせたのだという。/ (中略)/ 五輪は風景を変え、人を変える。大義名分の下、すべてが進む。そこのけそこのけとばかりブルドーザーが風景を壊し、古くからの文化も人心も一緒に、一気呵成(かせい)に押しつぶしていく。/ 2011年。中国・上海の路地裏を歩いた。その3年前の北京五輪前後、北京の胡同(フートン)の取り壊しが話題になったが、上海でも古くからの庶民の住居群が五輪のために減っていた。/ これとまったく同様の変貌(へんぼう)が、つい最近の東京でも起きたことを、人はもう忘れているのではないか。18年に豊洲に移転し、跡地が大型駐車場に変わった築地市場である。/ 欧州の貴族文化に端を発した近代五輪が、華やかな祭りの影で世界の土着文化を破壊していった「裏の歴史」。それは今も、厳然と積み重ねられ続けている。/(中略)/IOC(国際オリンピック委員会)の重鎮による屈辱的発言が報じられたが、黙りこくった為政者の姿を見るにつけ、英語なら単純にOlympic Flameと言うところ、「聖火」と神がかった語を使う日本社会を考えさせられた。 そこには喜々として一丸となり、五輪を崇(あが)め奉る、独特の感性がないだろうか? 先進国に仲間入りする関門としての初開催から半世紀余、なお後進国的な心性は変わらない。(以下略)>