齢をとると柔軟性を失い、思考が固まり、自分とは違う考えや新しい考え方を受け入れるのが難しくなる。それに比べ、若い人の思考の柔軟性に感心することがある。学生のコメントの中に、「学校に通うことの意味に関して、学校に通うことはコミュニケーション等の非認知的能力育成の為絶対必要と思っていたが、先生のコメントを読んで考え方が変わった」というものがあった。こんなに若い人(学生)の思考が柔軟なんだということと、教員はいい加減なことは言えないということを強く感じた。その学生のコメントを転載しておく。
<私は第5回学校へ行くことの意味、教師の役割について再び考え、最終レポートとする。/ 私は第5回の当初は「学校に通うことで多種多様な人との関わりを自然のうちに学びそれに伴うコミュニケーション能力や自主性、リーダーシップ等非認知能力と呼ばれる数値で測ることの出来ない学びをすることができるため、日本でホームスクーリングはまだ認めるべきではないと考え、従来の学校へ行くべきであると考える。」と回答をしていて、学校へ行くことが全てであると考えていた。/ しかしそこで先生からのフィードバックの中で「教育の基本は押さえつつ、柔軟な対応が必要な時代です。学校や教師の存在は子どもの教育に不可欠なものですが、それに合わない子どもも存在します。「学校でいじめられて自殺するくらいなら、不登校を選びなさい」という裁判の判決があるくらいです。将来組織の中で働く人が多いと思いますが、そうでない人もいて、職業によって必要な社会的能力はさまざまです。」との回答を頂いた。このフィードバックから私の考え方は変わった。/私自身が学校という環境に適性があっただけで、学校という環境が苦手で、苦痛を感じ、人との関係を作ることが出来ない人もいる。今までの私は学校が嫌いでも行き、そこから少しずつ学び、成長する必要があると思っていたが、柔軟な対応が必要な時代であり、必ずしも学校に行かなくてもホームスクーリングや他のインターネット上での学び、通信教育など様々な方法を選ぶ事も必要であると学んだ。現代は多様性が求められている時代だからこそ柔軟な考えを持ちその人一人一人にあった個性を大切にすることの大切さを学んだ。/ 教育社会学を受けていなければ、以前のまま昔ながらの古い考えでこうでなければならないと考えていたが,臨機応変に対応し柔軟な考え方をもち教師になってからも指導していきたいと感じた。>