今日、放送大学で、物理専門の先生(岡野・文京センター長)から、次のような考えを聞いて、大変感心した。
<最初はいろいろ雑多なものを集める。それを篩(ふるい)にかける。すると自然にいいものが下に落ちる。篩の精度を高めたりしながら、それを繰り返す。>
このやり方は、かなりアバウトで、篩さえ作れば、あとは自然の理(ここでは引力)に任せておけば、自然にいいものが残る、つまり選別できるというもので、エネルギーもあまり使わず、自然の理にかなって、優れものだと思った。
今の社会は、先に目標を定め、その目標を達成するためにどのような手段を取るかを決め、さらにその具体的なスケジュールを設定し、その通りに行うのをよしとする目的合理的な風潮があるように思う。
大学の授業も、最初にシラバスをきちんと提示するよう文部科学省からのお達しがある。つまり<授業の目的><到達目標><学習の内容><授業計画>(毎回の授業の内容)、<準備学習><成績評価の方法><教科書><参考文献>などを、シラバスにきちんと書くように定められ、その実行を迫られている。
最初に目標を定め、達成手段を決め、そのスケジュールに従い、懸命に努力することをよしとする。――これではあまりに人工的で、自然の理に反しているではないかと、という気持ちがしてきた。
大学の授業は、そのようなものもあってもよいが、すべてそのようなものではなく、もっとアバウトで、自然なものもあってもいいのではないか。それらは篩にかかり、いいものが残るはずである。