異文化に対する視点に関して、佐藤郡衛氏は、3つの視点のあることを指摘している。(『海外・帰国子女教育の再構築』)
「単一文化的視点」「比較文化的視点」「異文化間的視点」の3つである。
第3の「異文化間的視点」がいちばん大事で、そこでは「文化を動態的にとらえ、相互作用を通して文化は変わりうるものとしてとらえられる」。つまり、異文化に接することにより、自分たちの文化も変わり、人生が豊かになると考える。
これは「多文化教育的視点」とも同一のもので、マイノリティ(権力がない少数者)の立場を尊重し、その集団や文化も尊重し、相互作用を行う中で、マジョリティの文化も変わり幅が広がり心が豊かになる。
しかし、ここのところこの「異文化間的視点」や「多文化教育的視点」は人気がなく(トランプ現象?)、異文化、多文化に関して不寛容な風潮が広がっている。
地方都市でも次のような現象がみられるという。
<近の地元のニュースで「盲導犬を同伴した障害者の受け入れを、飲食店や公共施設、交通機関が拒むケースが仙台で後を絶たない」というのがありました。仙台人は「取っ付きにくいが根は善良で親切」と思っていましたが、この話を聞いてとても恥ずかしいと思いました。
根っからの地元の人は「それらは他所から来た人だ」とは言いますが、公共施設、交通機関もとなると、全体的に仙台人の価値観や道徳観の変化や低下を感じます。特に「恥」という概念が希薄になっているのではないでしょうか。(これは日本人全体の問題かも知れません)>(Mさんのメールより転載)
異文化、多文化に関しては、理想や建前だけで語ればいい時代ではなく、現実の中で葛藤を解決していかなくてはならない時代になっているということであろう。それにしても、高い理想やは忘れないようにしたい。