今の国際情勢や民主主義の危機に関して、佐伯啓思氏の論稿「民主主義がはらむ問題」(朝日新聞2022年12月24日朝刊)は、リアルとフェイクの関係に言及していて、興味深い。民主主義は享受するものでなく、人々が日々努力して獲得、維持すべきものであろう。一部転載する。
<戦後の英国を代表する保守派の政治哲学者マイケル・オークショットがかつてこういっていた。現代の大衆は、「幸福を追求する権利」など求めてはいない。彼らが求めているのは「幸福を享受する権利」だけである。人々が政治に求めるのは、「幸福を追求する」ための条件ではなく、現実に「幸福を享受すること」なのである。/ 人々は、政治に対して「安全と幸福」の提供を要求する。その結果、人々は、安全と幸福を与えてくれるような強力な「護民官」的な指導者を求める。/ 人は全体主義や権威主義を批判し個人の自由を主張するが、逆に自分で自分の人生を選択し、そのことに自分で責任をもつのは面倒なのである。/ みなが平等なはずなのに自分が不幸なのは、どこかに利益をむさぼる既得権益者がいるからであり、政治家はこの既得権益者をこそ敵とすべきである、と主張する。こうした社会全般に広がる鬱積(うっせき)(ルサンチマン)を背後において強力な大衆政治家が出現する。/ 民主主義の理念が「討議による政治」であり、少数派への配慮が必要とされるのは、何が真理であるかは誰にもわからない、という前提があるからだ。/ こういう価値相対主義こそが民主主義の根本的な前提をなしている。/ 絶対的な正義や正解が誰にも分からないとなれば、政治の言説もメディアの言説もすべてフェイクといえばフェイクということになろう。/ 政治的な公約や言説は、多かれ少なかれ、世論形成へ向けた効果やパフォーマンスと切り離せなくなる。/ 今日、経済は行きづまり、将来の展望は見えない。すると人々は政治に対して過大な要求をする。「安全と幸福」を、言い換えれば「パンとサーカス」(生存と娯楽)を求める。政治は「民意」の求めに応じて「パンとサーカス」の提供を約束する。/ しかし、にもかかわらず経済は低迷し、格差は拡大し、生活の不安が増せば、人々の政治不信はいっそう募るだろう。そこに、わかりやすい「敵」を指定して一気に事態の打開をはかるデマゴーグが出現すれば、人々は、フェイクであろうがなかろうが、歓呼をもって彼を迎えるだろう。こうして民主主義は壊れてゆく。民主主義の中から強権的な政治が姿を現す。/ この閉塞感の中で、西側の民主主義国は、ロシアのウクライナ侵略を契機に、この戦争を、民主主義と権威主義の戦いと見なし、「権威主義の軍事的拡張から平和愛好的な民主主義を守れ」という。もちろん、そのことを否定するつもりはないのだが、それにしてもこれはいささか民主主義に都合のよい作り話、つまり一種のフェイクにも聞こえる。/ 権威主義の脅威を掲げて民主主義を擁護するだけでは、民主主義がはらむ問題からわれわれの関心をそらしかねない。それ自体がはらむ脆弱さによって自壊しかねないことを知っておくべきであろう。>