「子どもというものは、すべての子は無条件にかわいいという、包み込み、抱きしめる母性的なものをベースにして育っていく」「日本の文化は明らかに母性的な傾向が強い」と、河合隼雄は述べている。
遠藤周作の小説『沈黙』に描かれたキリスト像は、許す母性的なものであると、江藤淳は解釈している(『成熟と喪失』)
『おおきな木』(シルヴァスタイン、村上春樹訳)という絵本を、自分をすべて犠牲にして子どもに尽くす母親像をイメージして読む日本人が多い。
このように、我々にとって母親というのは特別の存在で、子どもを慈しみつく、つくす人というイメージが強い。
しかし、割合は少ないにしても、そのようなイメージに合わない母親がいたり、そりの合わない親子関係があったりもする。そのことも、しっかり認識する必要がある。弱いもの(子ども)にしわ寄せがいかないように。
朝日新聞の最近の記事から一部転載
<私の母は「毒母」でした。幼いころから私は母に支配され、思い出すのは、母の怒っている顔や機嫌が悪い顔ばかり。対外的には明るくて親切な母親像を貫いていましたが、家では夫や子どもを攻撃し支配し続けていました。いつも攻撃される父は、ときどきスイッチが入って暴力をふるう。両親がののしり合い、目の前で皿が飛び交う。幼かった私は押し入れの隅か、台所の勝手口のたたきに身を潜めて泣いていました。そんなときでも母は、電話に出ると声のトーンが3倍ぐらい上がる。落差の激しい人でした。私は、母の周りにふんだんに仕掛けられた地雷を踏まないように気を使い、母の機嫌を損ねる前に、母が笑ってくれるであろう話をするような子どもでした。何かの弾みで地雷を踏むと、怒られる理由がわからないまま、「お前が悪い」という言葉をぶつけられる。幼かった私は、いつも自分が悪いのだと思っていました。母に怒られないためにはどうすればいいのかと、いつも考えていました。自分の意思よりも、母がどう思うかが決断のポイントになっていたと思います。 数年前、うちで飼っている犬が庭に出ようとして、そのままでも出られるのに、リードをつけられるのを待っている姿を見たとき、「あれは私だ」と思いました。私は幼いころから母の操り人形で、大人になっても操る糸があると思っていた。それぐらい根深い問題だったのだと気づいたとき、私は50代になっていました。>(鳥居りんこ、朝日新聞2017年9月14日)
<子どものころ、母の気分を損ねると「恥をかかされた」「誰に食べさせてもらってる」と怒られた。実際に食事を抜かれたことも。《私はだめなやつなので、そんなものだと思っていた》。結婚して夫の両親と接し、自分の親のようでない親がいると知った。母と一緒にいるとどうしようもなく苦しくなった。それでも「母が老いたら自分がみなくては」と思っていた。4年ほど前、母が入院。車で片道1時間半かけて病院に通い、入退院や介護保険の手続きも引き受けた。「おまえは事務はできるけど愛はない」と言われ、気持ちが切れた。 そのことによって、自身もとらわれていた「文化」に気づいた。《母は、子どもは親の思い通りになって然(しか)るべきだ、子どもは自分を無条件で愛してくれると信じていた。そういう文化の人だったのだ》。育った時代も受けた教育も違う。親子がわかりあえなくても当たり前と考えるようになった。>(読者、朝日新聞10月4日)
<追記>下記のコメントをI氏よりいただいた、感謝したい。転載する。
「毒親」はhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%AF%92%E8%A6%AA
岸田秀や、田嶋陽子(『愛という名の支配』https://www.amazon.co.jp/dp/4062569876)も自分の母親についてそういった趣旨のことを述べている。