卒業生のS氏より、学生文化に関する興味ぶかいコメントをいただいた。感謝。
(下記)
<文化論ではメインカルチャーがあってサブカルチャーの存在が認めらるという構図があると思います。
だとするなら、学生文化というサブカルチャーにあっても、その中を分ければ、真面目というメインカルチャーと不真面目というサブカルチャーが存在し、通常はメインカルチャーが一定の存在感を明示するが、時期によっては、サブカルチャーとしての不真面目な学生文化が顕在化し、反対にある時期には通常以上にメインカルチャーである真面目な側面が強調されて顕在化する。つまり、学生文化の不真面目な側面というのは、学生文化のサブカルチャーとしての地位しか持たない。不真面目な学生文化は異端なのではないでしょうか。
異端が正当な学問の追究者から通常の能力評価と異なる評価を得ることは、それがプラスである場合、理解できない謎とならざるを得ないと思います。なぜなら、それが異端であるということ示すものでもあるからです。
このような学生文化論は学生が増えてユニバーサル化するにしたがって階層化し、大学の序列化が一層進むように思われるのに、旧帝大は疲弊し、新規大学の新設が衰えないのはどういうことなのだろう。
大学の学生文化は大学の既存の文化とは一致しないものなのであろうか。就職という時に威力を発揮していると思われるイメージとしての大学固有の文化は今の学生文化から隔たりがあるのか?
大学の学生文化を捉えるのは容易ではないようです>
是非、異端と正統という図式で考えてみたいと思った。同時に、以前に書いた次の文章を思い出した。
「学生文化」(サブカルチャー)は、大学文化(トータルカルチャー)との関連で、それへの適合、葛藤,反抗などを起こしつつ、発生、消滅していく存在であり、学生の成長、生活に多大な影響を与えている」(武内清編『キャンパスライフの今』玉川大学出版部,2003年、169頁)*。
*この本は、9名の研究仲間と書いたとてもいい本(装丁も素敵)だと思うが、今アマゾンで安く売っている。世の中の人は本の価値がわからないのか。
(http://www.amazon.co.jp/gp/offer-listing/4472302764/ref=sr_1_1_olp?ie=UTF8&qid=1372368898&sr=8-1&keywords=%E3%82%AD%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%83%91%E3%82%B9%E3%83%A9%E3%82%A4%E3%83%95%E3%81%AE%E4%BB%8A&condition=used)