我々研究者にとって本は命という気持ちがあり、食べるものも食べなくても本を買ったという経験は、研究者には誰にでもあるのではないだろうか。確か、夏目漱石もロンドンでの経験としてそのようなことを書いていたように思う(あるいは『道草』の中の文章)。
渡部昇一が名著『知的生活の方法』(講談社現代新書)の中で、本を手元に置くことが、知的生活を送る為にいかに重要かということを書いている(図書館に本を借りに行くたびに思考が中断され、手元の本がないと集中的思考が重要な知的生活を送れない)。
我々世代、あるいは少し後の世代までは、研究者は、上記のように考え、本をせっせと購入してきた。
しかし、今はインターネットの時代に入り、事情は変わって来ている。インターネット上でさまざまな情報が得られるようになっているし、多くの本や雑誌や学会誌はインターネットで読めるようになっている。手元の本を置く必要が段々なくなってきているのである。
私は助手の頃、日本社会学会の学会誌『社会学評論』の1号~80号までを、本郷の古本屋の広告に安く出ているのを、先輩の高橋均さんが教えてくれてた。値段は80冊で15万円(何冊かに製本されていた)。古本屋は「その2倍以上の値段をつけるつもりが間違えてしまった」といい、売り渋ったが、「広告に出してあるのだから」と言って、その値段で売ってもらった。その後社会学会に入り、その後の巻を全部揃えたが、今は、その社会学評論も、ネット上で無料で読めるようになっている。
研究者が定年退職した時、本の置き場がなく困ることになる。「本は命」、「本がなくては知的生活を送れない」という気持ちがあるし、それぞれの本には、食費を削ってでも購入したという思いや、その時々に読んだ思い出がある。
せめてこの本をどこかの図書館で受け入れてくれないかと探すが、それはほとんど拒否される(1冊の本を、大学の図書館に置くのは、その登録に3000円くらいうの費用がかかると、昔聞いたことがある。スペースの関係だけでなく、費用の面からも、図書館に安易に本は置けない)。次に古本屋に聞いてみると、選別して、そのうちの何冊かは、わずかなお金で引き取ってくれる。
(ブックオフでは、本の新しさ、綺麗さだけで選別される。店の本棚にある同じ本でも、拒否されたことがある)。このように、本を処分しようとして、自分の大切にしてきたものが、社会的には何の価値もないと烙印され、いたく自尊心を傷つけられる。
アマゾンでは、古本を1円で売っていることがよくある。時々これを利用する。郵送料が250円かかるので251円という価格だが、これで割が合うのであろうか。
小倉 千加子 (著) 『結婚の条件 』(朝日新聞社) も今1円で購入できる。
一方、たまに、古本で定価より高い本を見つけることがある。その場合は、かえって嬉しくなる。最近、ネットで 見た本では、
・天野 郁夫 (編) 『学歴主義の社会史―丹波篠山にみる近代教育と生活世界』 (単行本) 中古品 34,293円(放送大学の院生に読むようにすすめたが、値段が高い)
・麻生武「身ぶりからことばへ―赤ちゃんにみる私たちの起源 (子どものこころ) 中古品 4,555円、12619円
・細谷 恒夫 (編集)『教師の社会的地位 (1956年)』7000円、95750円(この本は持っていて、昔3万円くらいの値が付いていた)
・原田 彰 (編さん), 望月 重信 (編さん) 『子ども社会学への招待』 中古 5737円 (これは、新本で出たばかりだが、古本ではこのような値段が付いている)