昔過ごした場所を懐かしむ

歳をとると昔過ごした場所を懐かしむことが多くなる。もう四半世紀前になるが、家族で過ごしたウィスコンシン州の州都のマディソンでの1年間の生活は懐かしく思い出すことが多い。そこは人口20万人のうち5万人近くは大学関係者という大学街で、風光明媚な上、人々が友好的でそこに住んだことのある日本人は「ウィスコンシン大学マディソン校日本同窓会(日本人会)」まで作っている(https://madisonjapan.wixsite.com/mjahome)。

 今日たまたま再読した井上俊・甲南女子大学教授のコラム「教育の哀しみ」(『子ども・学校・社会』世界思想社、2006)には、昔のウィスコンシン大学の社会学の教授や学生について、有名な人がいたことが書かれていた。ガース教授やベッカー教授である。学生で在籍していたのはミルズ。いずれも社会学史に名前を残している大学者である(日本でも多くの翻訳がある)。学生(ミルズ)が優秀過ぎて教授と葛藤を起こした「教育の哀しみ」が、コラムには詳細に記述されている*。これ(教育の哀しみ)は夏目漱石が小説『こころ』の中で、「先生」が「私」に忠告したことでもある。

私は、UWで、多くの有名な教育学者(アップル教授、ポプケビッツ教授等)の授業も受講したが、同時に社会学部のガモラン教授やメッツ教授の教育社会学の授業も受講することができた。UWが社会学研究でも輝かしい伝統のある大学であることを井上俊教授のコラムから思い出し、昔のマディソンでの滞在を懐かしんだ。

*「人はしばしば、相手を教え育てる活動に従事しながら、しかもその活動が成就することをひそかにおそれる。そのため、目的の達成をなるべく引き延ばそうとする無意識的な傾向が生じたり、また客観的にみれば教育の成功であり目的の達成であるものが、相手の裏切りや忘恩と感じられたりすることがある。社会学の世界でいうと、たとえばC・W・ミルズ(1926-62)に対するハンス・ガース(1908-78)の感情はこれに近かったかもしれない。」【256頁】