教育課程論 講義メモ (2015年11月11日)

 今日のテーマ  教育と教養
 道徳教育→利己主義・利他主義→自分と他者、アイデンティティ探索(越境、他者との出会い、成長)という流れで、議論を進めてきました。
 それで、先週は皆さんのほとんどが観ている宮崎駿の「千と千尋の神隠し」の映画(の一部)を観て、その解説(本橋哲也『映画で入門 カルチュラルスタディーズ』(大修館書店、2006年)を読んで、考えてもらいました。
 皆さんの先週のリアクションを読むと、「千と千尋の神隠し」は子ども向けの映画かと思っていたが、越境や名前の喪失の意味や他者との出会いによるアイデンティティの探求のような深いテーマが描かれていたのか、という驚きのコメントが多く書かれていました。
 よい文芸作品(映画、小説等)は、いろいろな読みができるものです。この映画に対する読みも、本橋氏以外にもいろいろな人が書いています。たとえば、今日お配りした村瀬学『宮崎駿の「深み」へ』(平凡社新書、2004年)もなかなか鋭い指摘をしています。村瀬氏は、ヒロインが千尋という名前を失ったことは、元の世界との関係が絶たれることを意味すると、「由来」(過去、文化)の大切さを説いています。
 このように一つの作品をめぐっての様々な解釈があり、それらを読み比べてみたり、自分の解釈をそこに付き合わせ、友人がどのような解釈をするのかを聞いてみたり、そしてそのような解釈の違いが出てきた原因を探ったりすることは、教養として必要なことだと思います。
 世の中で、流行しているものは、それなりに人の心を捉えたものです。小説家で言えば、現代は村上春樹が一番有名な人だと思います。その作品を読んでおくことは、教員を目指す人には必須と思い、前回は『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』(2013年)の冒頭の16ページを読んでもらいました(これを読めば、もう「村上春樹を読んだことはない」と言わなくていいでしょう?)。
その小説の後半を読むと、多崎つくる君のその後の巡礼の旅から、意外な事実が明らかになり、最初の彼の悩み(友人から仲間外れにされ自殺したいという思い)は何だったんだろということになります。
今回は、村上春樹という有名な作家の作品をとにかく読むということをしてほしかったのです。村上春樹のエッセイも読みやすいものなので、一部コピーしておきます。
ただ、このような有名な作家も、その見方が、空論だと批判もされることもあります。藤原新也による村上批判の文章をコピーしましたので参照してください。
 若い皆さんが、自分の好みのみに閉塞し、同質の友人とだけ交友を狭めるのは、もったいないことです。読書は、身近な人だけではなく、広い世界の人、そして過去の偉大な人との対話でもあります。境界を越え、異質に出会うことこそ、若い時にすべきことでしょう。
 竹内洋『学問の下流化』(中央公論新社、2008年)の現代の教養に関する文章も一部お配りしまたので、教育における教養の意味や意義についても、考えていただきたいと思います。
 教師は「教科書を教える」のではなく「教科書で教える」人です。教師を目指す皆さんは、このような広い読書を通して、教養の幅と深みを増してほしいと思います。
 (配布プリント A3で6ページ、これだけ読んでコメントを書いてもらうのも、今回の狙いの一つ)

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