社会学者の作田啓一の『恥の文化再考』(筑摩書房)という名著がある。R・ベネディクトの『菊と刀』の内容を、日本文化の内容を加味して再考したもので、太宰治の『斜陽』などの分析を取り入れ、文学的な香を感じる本である。恥に関するさらなる緻密な分析は、『価値の社会学』(岩波書店)でなされている。
私達が恥を感じるのは、「視線の食い違いによる』という指摘が心に残っている。自分は相手にとって「かけがえのない存在」(個別)だと思っていたのに、相手からは「多くの人のひとり」(普遍)としか思われていないということが分かった場合、その二人の視線が食い違い、恥ずかしさを感じるというものである。デートに誘って断られた時の恥ずかしさは、これで説明できる。
私がこの2年間ぐらいで、一番恥ずかしと思ったことは、(電動アシスト自転車で転んだことではなく)、「女性優先車両」に気が付かずに乗ったことである。たまたまその日は朝早く(7時半ぐらいだっただったと思う)、いつも乗る1両目の先頭車両に駆け込み、ドアのそばに立ち本を読んでいたら、どうも周囲の人の視線が厳しい(「千葉ってこんなに女性の目が冷めたかったか」とのんきに思っていた)。1駅(といっても快速電車なので10分)先で、女性優先車両であることに気が付き、あわてて降りた。
このときの恥ずかしさはしばらく消えず、恐怖心に変わり、今でも電車に乗るたびに、この車両は私の乗っていい車両なのかと、周囲をキョロキョロ見渡すことになる(それを決して挙動不審と思わないでほしい)。早くこのことを忘れ、気持ちよく電車に乗り、本を読みたい。