以前の朝日新聞(3月27日夕刊)であるが、カン・サンジュン東大教授が、「吉本隆明を悼む -大衆に寄り添うゆえの変貌、丸山よりも『近代主義者』」という文章を寄せている。
「大衆の『欲望自然主義』を無邪気に肯定する吉本」は、「大衆の実感に寄り添う吉本が辿らざるを得なかった必然で」「空前の原発事故を目撃しても、科学によって科学の限界を超えられると嘯いた吉本」は、「教祖の思想的命脈は尽きていたのである」と、書いている。
上記の文章は、吉本隆明が、芥川の自殺に関して、それは人間的な死ではなく文学的な死である、と述べていることを、なぞっているように思えた。
「芥川龍之介の死は、『歯車』や『阿呆末の一生』のあとに、どのような作品も想像することができないように、純然たる文学的な、また文学作品的な死であって、人間的、現実的な死ではなかった」(吉本隆明「芥川竜之介の死」『著作集7』昭和43年)
つまり、吉本の死は、人間的な死ではなく思想的な死である、と。
こんなに厳しく言わなくても、藤原新也の紹介するインドの僧のように、自分を踏み越えて進むように「教祖」吉本から吉本「信徒」を解放させたのではないかと考えたい。