年末に思う

このところ私の自宅のパソコンの調子がよくなく、それは体の一部が不調のような気分。早く何とかしなければと思う。
先週の金曜日(21日)に敬愛での今年最後の授業が無事終わり、晴れ晴れとした気分になっていいはずが、そうでもない。
授業の最後の週は、教員たちの挨拶は、「やっと今年も終わりますね」というもので、授業の苦労から暫く解放される安堵を表明したものである。
その気持ちはよくわかるが、非常勤の身としては、授業を担当させてもらっていることがありがたいので、それが終盤に近づいたことへの寂しさも感じる。

先週の敬愛の「教育課程論」の授業は、教育哲学・異文化理解が専門の佐藤邦政氏(敬愛大学専任講師)に教育思想、教育哲学のことを話してもらった。ルソーの思想を中心に含蓄のある講義*で、私の苦手な分野を補えてよかった。学生は、熱心に講義を聞いてくれていたので、社会学や心理学や教育実践とは一味違う哲学的な教育学の面白さを知ってくれたことであろう。

今巷では、「終活年賀状」のことが話題になっている。年賀状のよさと煩わしさは両面あって、なんとも言えないが、私は今年は喪中なので(喪中はがきを出したが、住所不明で戻ってきて来たものもかなりあった)、来年に考えたいと思う。

このブログは私のメモ(日記)のようなものなので、そんなに読んでくれる人がいるわけではないが、シアトル在住のSさんから素敵なクリスマスカードを頂き、ブログの記事への言及があり、感激した。

パソコンの不調もあり、自分の感じたことを文章にできないもどかしさを感じている年末であるが、今年もいろいろお世話になった人や思い出深い出来事に思いを馳せ、新しい年を迎えたい。

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