教育社会学は、実証性を重んじる学問だが、その重要性を再認識するようなことがあった。一つは、児美川孝一郎「GIGAスクールというディストピア」(『世界』2021年1月号)をめぐって、友人と議論したことである。私はこの論稿を読んで児美川氏が、現在の文部科学省の教育政策に対して、社会的な視野から批判的に見ていて、明解な論理展開で、とても感心した。経済政策のSociety5.0が、文部科学省の「個別最適化」に大きな影響を及ぼしているという見方にも感心した。
ところが、教育社会学専攻の友人たちの評価は、私の浅い読みを批判し、実証性やRealityを重んじるべきというものであった。「批判的な論考としての価値はあると思います。でも、教育社会学的、歴史社会学的かというと、きちんとした理論とデータが足りないと思います。1つの研究が社会学的または歴史社会学的であるためには、それなりの社会理論枠組みと、一定のパラダイムに乗っ取った 方法論に沿って集めたデータとその分析が必要と思います。データおよびその分析は、質的なものでも、量的 なものでも構わないと思います。」「社会事象としての Reality が欠如している。ステレオタイプな見方をしていて、教育現場の現実を見ていない。教育現場の観察なり調査なりして、現場の見ての論を展開すべきである」この友人たちの指摘から、実証性の大切さを再確認した。
もう一つは、中村髙康「大学入試改革は『失敗』から何を学ぶべきか―データ軽視・現場軽視を繰り返すな」『中央公論』(2021年2月号)を読んでのことである。昨年の大学入試のあり方の混迷の原因の一つが、入試改革論者が、現実の大学入試問題の実際を知らず、また受験生の思いを全く考慮せず、入試改革を進めようとしたことであること、中村氏は、実際のデータでそれを示して論じている。これからも、実証性の大事さを再認識した。